ニッポンの主食をテクノロジーで支える
2025年、日本の食卓を揺るがす「令和の米不足」が社会を大きく騒がせました。記録的な高温や長雨による不作、生産農家の減少、そして物流の停滞が重なり、コメの価格は高騰、消費者はもちろん、外食・中食産業まで深刻な打撃を受けました。その影響で「ブランド米」の価値は一層高まり、新潟県産コシヒカリをはじめとする銘柄米は、市場価格の2割以上も高く取引される事態となっています。しかしその裏で、産地偽装や品種偽装といった不正も横行し、コメの信頼性が問われる“令和の米騒動”が再燃しているのです。
本特集では、こうした激動の米市場において、日本の食の安全と技術革新を支える3つの注目特許に焦点を当てます。まずは、新潟県産コシヒカリに特有の遺伝子配列を用いて偽装米を見抜く、革新的なDNA識別技術。この技術は将来、産地証明の確実な根拠となり、ブランド米の信頼性を守る切り札として期待されています。
次に紹介するのは、田植え作業の効率化と作業負担の軽減を両立した、最新型の田植機。農業の省力化が急務となる中、予備苗の積載構造に新たな工夫を施したこの技術は、高齢化や人手不足に悩む現場で実用化が待たれています。
そして最後は、私たちの日常に欠かせないおにぎりや弁当の「中食米飯」の品質を根本から改善する、ミツカン社による米飯改良剤の発明。時間が経っても風味が落ちず、ふっくらとした食感を保つこの技術は、食品ロス削減や業界全体の効率化にも貢献する可能性を秘めています。
今こそ、“米”という国民食を科学と技術で守る時。食卓の未来を支える知恵と工夫に迫ります。
わずか1時間で偽装を見抜く。ブランド米の信頼を守る高速DNA判定技術
日本のコメ市場は「令和の米騒動」という言葉が飛び交うほどの変革期にあります。中でも「新潟県産コシヒカリ」のようなブランド米は、市場で約2割も高い価格で取引されるため、産地偽装や品種偽装が後を絶たない深刻な問題に直面しています。従来の識別方法には、事前の品種判定が必要であること、他品種や他県産コシヒカリの混入時に正確に判定できないこと、そしてPCR法を用いるためにDNA増幅とその確認に時間がかかること、といった課題がありました。
こうした状況の中、こうしたブランド米の偽装問題に役立つ画期的な特許技術があります。この特許は、新潟県産コシヒカリのDNA、特に第1染色体中に見られる「第1標的mPing」という特定の遺伝子挿入の有無を検出することで、ブランド米の偽装を見破る技術です。
この特許技術が、将来「偽装米」が社会問題化した際に、日本の食の安全と信頼をどのように守っていくのか、注目の技術を詳説していきます。
近年、消費者の食の安全・安心への意識が高まる中、食品の産地や品質に対する信頼は極めて重要となっています。特に、日本の主要作物であるコメにおいては、ブランド米の価値が高まるにつれて、産地や品種の偽装問題が依然として後を絶たず、その信頼性を揺るがす事態が度々報じられています。
このような状況において、迅速かつ正確なコメの産地・品種判別技術の必要性は、これまで以上に増しています。このような喫緊の課題への有効な解決策として、当該特許発明の意義と内容を明らかにしていきます。
1.背景と課題
背景技術
本特許発明が開発された背景には、新潟県産コシヒカリの市場価値があります。
1. 高価格での取引
新潟県産コシヒカリは、他県産コシヒカリや他の主要品種に比べて約2割高い価格で取引されています。
2. 偽装問題の深刻化
この価格差のため、産地偽装や品種偽装が後を絶たない状況にあります。
3. 簡易識別手法へのニーズ
そのため、新潟県産コシヒカリを他県産や他品種のコメから簡便に識別する手法が強く求められていました。
これまでにも、新潟県産コシヒカリの識別方法として、病気に強い「コシヒカリ新潟BL」への切り替えを利用した識別法(特開2004-141079)や、コシヒカリの産地間の違いを利用した識別法(特開2011-193799)が報告されていました。
従来技術における課題
しかしながら、上述した従来の識別方法には、以下の課題が存在していました。
事前判定の必要性
新潟県産か否かを判定する前に、コシヒカリであることを事前に判定しておく必要がありました。
混入時の判定困難性
他品種や他県産コシヒカリが混入していた場合、正確な判定が難しいという問題がありました。
時間的な制約
PCR法を用いるため、DNA増幅とその確認に比較的時間を要するという課題がありました。
これらの課題から、新潟県産コシヒカリをより簡便かつ特異的に判定できる方法の開発が求められていました。
どんな発明?
2−1.発明の目的
本特許発明は、上述の課題を解決し、新潟県産コシヒカリの構成品種の第1染色体中に見出される「第1標的mPing」の挿入の有無を検出することにより、コメの産地または品種を判別する方法を提供することを目的とします。
2−2.発明の詳細
1. 基本原理:分離可能なブロック変換 (SBT)
1. 基本原理とDNAマーカー
本技術は、コメのゲノムDNA中に存在する特定のトランスポゾンである「mPing」の挿入の有無をDNAマーカーとして利用します。mPingは430 bpのポリヌクレオチドであり、ゲノム中の挿入部位(TAAまたはTTA)を複製してその両端に持つため、挿入がある場合は元の配列より(430bp+3)bp長くなります。
特に、新潟県産コシヒカリを構成する品種(いもち病抵抗性品種「コシヒカリ新潟BL」)の第1染色体中に見出される「第1標的mPing」の挿入の有無を主要なマーカーとして利用します。この第1標的mPingは、日本米の基準品種である「日本晴」の対応部位には挿入されていません。
2. 増幅反応とプライマーセット
DNAの増幅には、2以上のプライマーを用いた増幅反応が用いられます。特に、等温条件下での増幅反応が好ましく、中でもLAMP(Loop-mediated Isothermal Amplification)法がより好ましいとされています。LAMP法を用いることで、1時間以内に判定を行うことが可能です。
LAMP法では、通常、以下の領域に相補的な配列を持つプライマーが用いられます。
• FIP(Forward Inner Primer): 標的DNAのF2c領域に相補的なF2領域を3’末端側に持ち、5’末端側に標的DNAのF1c領域と同じ配列を持つように設計されます。
• F3プライマー: 標的DNAのF3c領域に相補的なF3領域を持つように設計されます。
• BIP(Backward Inner Primer): 標的DNAのB2c領域に相補的なB2領域を3’末端側に持ち、5’末端側に標的DNAのB1c領域と同じ配列を持つように設計されます。
• B3プライマー: 標的DNAのB3c領域に相補的なB3領域を持つように設計されます。 さらに、ループプライマー(LFおよびLB)を併用することで、反応効率を高めることができます。
本技術では、目的に応じて以下の5種類のプライマーセットが用いられます。
1. 第1のプライマーセット(NK1プライマーセット):
- 検出対象: 新潟県産コシヒカリの第1染色体中に見出される第1標的mPingの挿入の有無を検出します。
- 特長: このmPingは新潟県産コシヒカリに特異的に挿入されているため、その存在の確認により新潟県産コシヒカリである可能性が高いと判断できます。
- 挿入部位: 配列番号2の塩基配列における1001~1430番目のヌクレオチド残基からなる部位に対応します。
2. 第2のプライマーセット(NK2プライマーセット):
- 検出対象: 新潟県産コシヒカリの第8染色体中に見出されない第2標的mPingの挿入の有無を検出します。
- 特長: このmPingは日本晴には存在するが新潟県産コシヒカリには見出されないため、その非挿入の確認により新潟県産コシヒカリである可能性が高まります 。
- 挿入部位: 日本晴の第8染色体の第4711970~4714399番目のヌクレオチド残基からなる配列番号3の塩基配列における1001~1430番目のヌクレオチド残基からなる部位に対応します。
3. 第3のプライマーセット(NK3プライマーセット):
- 検出対象: 新潟県産コシヒカリの第8染色体中に見出されない第3標的mPingの挿入の有無を検出します。
- 特長: このmPingも日本晴には存在するが新潟県産コシヒカリには見出されないため、その非挿入の確認により新潟県産コシヒカリである可能性が高まります 。
- 挿入部位: 日本晴の第8染色体の第1018672~1021101番目のヌクレオチド残基からなる配列番号4の塩基配列における1001~1430番目のヌクレオチド残基からなる部位に対応します。
4. 第4のプライマーセット(NK4プライマーセット):
- 検出対象: コシヒカリ以外の品種を検出します。
- 特長: コシヒカリ以外の品種に特異的なマーカー領域(例:いもち病抵抗性遺伝子Pi5-1の第1イントロン領域や第1エキソンより前の領域など、コシヒカリゲノム中に相同領域が存在しない部位)に対するプライマーセットです。
5. 第5のプライマーセット(NK5プライマーセット):
- 検出対象: コシヒカリを特異的に検出します。
- 特長: コシヒカリに特異的なマーカー領域(例:日本晴の第9染色体上の非相同領域など)に対するプライマーセットです。
プライマーを構成するヌクレオチド残基の数は、標的部位にアニーリングして目的産物を特異的に増幅できる限り限定されず、例えば15~50個程度が適切です。また、増幅産物の検出を容易にするため、プライマーは蛍光物質等で標識されていても良いですが、LAMP法では副産物であるピロリン酸マグネシウムの白濁を目視で確認することでも増幅の有無を確認できます。
注) 用語「均等な塩基配列」とは、イネの品種間、特に新潟県産コシヒカリと日本晴における塩基配列のバリエーションに対応する塩基配列を意味し、数個(例:1~10個)の塩基の修飾(置換、欠失、挿入、付加)を含み得ます。
3. 判定方法
本技術では、複数のプライマーセットを組み合わせた増幅反応の結果を総合的に評価することで、米の産地や品種を正確に判定します。
(1) 新潟県産コシヒカリを判定する方法
以下の3つのプライマーセットを用い、それぞれ以下の結果を確認します。
• 第1のプライマーセット(NK1): 第1標的mPingが挿入されていることを確認すること。
• 第2のプライマーセット(NK2): 第2標的mPingが挿入されていないことを確認すること。
• 第3のプライマーセット(NK3): 第3標的mPingが挿入されていないことを確認すること。
これらの条件をすべて満たす場合、サンプルは新潟県産コシヒカリであると判定されます。
(2) 新潟県産コシヒカリに他県産のコシヒカリもしくは他品種のコメの混入があると判定する方法
以下の3つのプライマーセットを用い、それぞれ以下の結果を確認します。
• 第1のプライマーセット(NK1): 第1標的mPingが挿入されていることを確認すること。
• 第2のプライマーセット(NK2)および第3のプライマーセット(NK3): 一方または双方を用いる増幅反応により、第2標的mPingまたは第3標的mPingが挿入されていることを確認すること。
第1標的mPingが挿入されている(新潟県産コシヒカリの存在を示す)一方で、第2または第3標的mPingが挿入されている(他県産コシヒカリまたは他品種の存在を示す)場合、混入があると判定されます。
(3) コシヒカリ以外の品種のコメを判定する方法
以下の3つのプライマーセットを用い、それぞれ以下の結果を確認します。
• 第1のプライマーセット(NK1): 第1標的mPingが挿入されていないことを確認すること。
• 第4のプライマーセット(NK4): コシヒカリ以外の品種のコメであることを確認すること。
• 第5のプライマーセット(NK5): コシヒカリでないことを確認すること。
(4) 新潟県産以外の県産のコシヒカリを判定する方法
以下の3つのプライマーセットを用い、それぞれ以下の結果を確認します。
• 第1のプライマーセット(NK1): 第1標的mPingが挿入されていないことを確認すること。
• 第4のプライマーセット(NK4): コシヒカリ以外の品種のコメでないことを確認すること。
• 第5のプライマーセット(NK5): コシヒカリであることを確認すること。
(5) コシヒカリ以外の品種のコメおよび新潟県産以外の県産のコシヒカリの混合物であることを判定する方法
以下の3つのプライマーセットを用い、それぞれ以下の結果を確認します。
• 第1のプライマーセット(NK1): 第1標的mPingが挿入されていないことを確認すること。
• 第4のプライマーセット(NK4): コシヒカリ以外の品種のコメであることを確認すること。
• 第5のプライマーセット(NK5): コシヒカリであることを確認すること。
他県産コシヒカリの例として、栃木県産、福島県産、茨城県産、富山県産、千葉県産などが挙げられます 。他品種米の例としては、ひとめぼれ、あきたこまち、ヒノヒカリ、ななつぼし、はえぬきなどが挙げられます。
4. キット
本技術は、上述した各種プライマーセットを含む判別用キットも提供します。このキットは、増幅反応に必要なDNAポリメラーゼ(LAMPでは鎖置換型DNAポリメラーゼが好ましい)、蛍光試薬、dNTPSなどの基質、ATPなどの補酵素をさらに含んでいても良いです 。また、コントロールとしてハウスキーピング遺伝子をコードするDNAや、ポジティブコントロール(例:新潟県産コシヒカリのゲノムDNA)および/またはネガティブコントロール(例:他県産コシヒカリのゲノムDNA、他品種のゲノムDNA)を含んでいても良いです。
5. LAMP反応液の蛍光発色を利用した判定例
- (A) 新潟県産コシヒカリの判定例では、NK1プライマーセットで増幅が確認され、NK2およびNK3プライマーセットでは非増幅となり、混入のない新潟県産コシヒカリと判定されます.
- (B) 栃木県産コシヒカリの判定例では、NK1が非増幅、NK4が非増幅、NK5が増幅となり、他県産コシヒカリと判定されます.
- (C) 宮城県産ひとめぼれの判定例では、NK1が非増幅、NK4が増幅、NK5が非増幅となり、他品種と判定されます.
- (D) 新潟県産コシヒカリと栃木県産コシヒカリの混合試料の判定例では、NK1が増幅、NK2が増幅、NK3も増幅となり、新潟県産コシヒカリに他県産コシヒカリの混入ありと判定されます.
- (E) 新潟県産コシヒカリと宮城県産ひとめぼれの混合試料の判定例では、NK1が増幅、NK2が増幅、NK3も増幅となり、新潟県産コシヒカリに他品種の混入ありと判定されます.
- (F) 栃木県産コシヒカリと宮城県産ひとめぼれの混合試料の判定例では、NK1が非増幅、NK4が増幅、NK5が増幅となり、他県産コシヒカリと他品種の混合物と判定されます.
これらのプライマーセットと判定方法を組み合わせることで、精確かつ迅速な米の産地・品種判別が可能となり、特に新潟県産コシヒカリの流通における信頼性向上に寄与します。
3.ここがポイント!
この発明のポイントは、新潟県産コシヒカリを簡便かつ特異的に判定するための方法とキットを提供するために、以下の観点を採用したことにあります。
特異的なDNAマーカー
発明者らは、新潟県産コシヒカリの構成品種の第1染色体中に見出される特定のmPing(第1標的mPing)の挿入、および第8染色体中に見出されないmPing(第2標的mPing、第3標的mPing)をDNAマーカーとして利用することにしました。これらのマーカーは、日本米の基準品種である日本晴など他の品種とは異なる特徴を持っています。
高精度な判別方法
これらのDNAマーカーを検出するための複数のプライマーセット(NK1~NK5)を使用し、増幅反応の結果を組み合わせることで、以下の様々な判定が可能です:
新潟県産コシヒカリの判定
新潟県産コシヒカリへの他県産コシヒカリまたは他品種米の混入の判定
コシヒカリ以外の品種米の判定
新潟県産以外のコシヒカリの判定
コシヒカリ以外の品種米と新潟県産以外のコシヒカリの混合物の判定
LAMP法の採用による迅速性
増幅反応には、DNA増幅とその確認に時間を要する従来のPCR法ではなく、等温条件下で増幅反応が可能なLAMP(Loop-mediated Isothermal Amplification)法が用いられます。これにより、1時間以内という短時間での判定が可能となり、迅速な鑑定が実現されます。
対象となるコメ
本発明の方法は、2005年産以降の新潟県産コシヒカリ(いもち病抵抗性品種「コシヒカリ新潟BL」に切り替えられたもの)を特異的に検出できます。
利用可能なサンプル
玄米、精米だけでなく、炊飯米、加工米飯、日本酒などのコメ加工品由来のゲノムDNAを含むサンプルにも適用可能です。
4.未来予想
この発明が普及した場合、未来では以下のような変化が期待されます。
• 新潟県産コシヒカリのブランド価値の確立と保護
現在、高価格で取引される新潟県産コシヒカリは、産地偽装・品種偽装が後を絶たないという課題に直面しています。この発明による簡便かつ特異的な判定方法が広く普及することで、市場に出回る「新潟県産コシヒカリ」の真贋が容易に確認できるようになります。これにより、消費者は安心して新潟県産コシヒカリを選べるようになり、ブランドの信頼性が向上し、その価値が維持・強化されるでしょう。
• 産地偽装・品種偽装の抑制と摘発の効率化
DNAマーカー(第1標的mPingの挿入、第2・第3標的mPingの非挿入)を活用し、他県産コシヒカリや他品種米の混入を正確に判定できるため、不正行為が発覚するリスクが大幅に高まります。また、LAMP法を用いることで1時間以内という短時間での判定が可能になるため、流通段階や小売店での抜き打ち検査、あるいは出荷前の迅速な品質管理が現実的になります。これにより、不正行為への強力な抑止力となり、偽装が大幅に減少し、摘発も効率的に行われるようになります。
• 食品トレーサビリティの強化と消費者への透明性の向上
玄米、精米はもちろん、炊飯米、加工米飯、日本酒などのコメ加工品からも判定が可能であるため、製品化された後も産地や品種の真正性を確認できるようになります。これにより、コメ製品全体のトレーサビリティが強化され、消費者は購入するコメがどこでどのように生産されたかについて、より高い透明性を得られるようになります。
• 流通・小売業界の品質管理コスト削減と信頼性向上
従来技術の課題であった「他品種や他県産コシヒカリの混入が有った場合に正しく判定できないこと」や「DNA増幅と確認に時間がかかること」が解決されるため、流通業者や小売業者は、より迅速かつ低コストで品質チェックを行えるようになります。これにより、サプライチェーン全体の信頼性が向上し、不適切な製品による風評被害のリスクを低減できます。
• 国際市場での日本産米の競争力強化
日本産米、特にコシヒカリの海外輸出が増える中で、産地や品種の真正性は国際的な信頼を得る上で不可欠です。この技術が普及することで、海外での偽装品の流通を防ぎ、日本産コメ、特に新潟県産コシヒカリの高品質ブランドイメージを世界で確立・維持することに貢献するでしょう。
権利概要
発明の名称 | 新潟県産コシヒカリの判定法およびそれに用いられるプライマーセット |
出願番号 | 特願2013-113428 |
出願日 | 2013年5月29日 |
公開番号 | 特開2014-230526 |
公開日 | 2014年12月11日 |
登録日 | 2017年5月19日 |
審査請求日 | 2023年8月7日 |
特許番号 | 特許6145315号 |
出願人 | 国立研究開発法人農業・食品産業技術総合研究機構 |
発明者 | 酒井 宏明 岸根 雅宏 奥西 智哉 |
国際特許分類(IPC) |
C12Q 1/68 (2006.01) G01N 33/02 (2006.01) C12N 15/09 (2006.01) |
釜内の加熱ムラを徹底改善。一粒一粒が均一に輝く、最高の米飯品質
スーパーやコンビニエンスストアで手軽に手に入るおにぎりや弁当、寿司といった「中食用米飯」は、私たちの食卓に欠かせない存在となっています。しかし、これらの米飯は製造から喫食までに時間がかかるため、時間の経過とともに米粒が固まったり、風味が損なわれたりするという課題がありました。また、大量に炊飯される工場では、釜の内部で米がうまく対流せず、加熱ムラが生じてしまい、米飯の品質が均一でなかったり、釜への焦げ付きが発生したりするといった生産性の問題も抱えていました。
こうした長年の課題に対し、ミツカン社が開発した画期的な新技術が、今回紹介する特許発明です。この発明は、特定の成分を組み合わせた「米飯改良剤」を使用することで、調理後の米飯が長時間経過しても「ほぐれやすさ」と「風味」を維持し、さらに炊飯時の「加熱ムラ」までをも改善するという、まさに“夢の米飯”を実現する可能性を秘めています。
私たちの食生活において、スーパーマーケットやコンビニエンスストアで手軽に購入できるおにぎり、弁当、寿司といった「中食」と呼ばれる食事形態が著しく増加しています。中食は、家庭外で商業的に調理・加工された食品を購入して自宅などで喫食する形式を指し、惣菜店や外食店のデリバリーなども含まれます。この市場の拡大に伴い、これらの米飯製品に求められる品質基準も高まっており、特に製造から喫食までに長時間を要するという中食特有の特性が、技術的な課題を浮き彫りにしています。
1.背景と課題
背景技術
中食用米飯は製造後から消費者の手に渡るまで数時間以上が経過することが多く、常温(10~25℃)やチルド(10℃より低い温度帯)で数時間から100時間程度、あるいは冷凍下(-10℃以下)では1年程度保管されることもあります。また、パウチ製品に至っては常温やチルドで約15~45日、あるいは約1~2年もの長期保存が求められるケースも存在します。このような長時間の保管条件下であっても、炊飯直後のような優れた風味と食感、特に「ほぐれ」を保持する技術が強く求められています。
注)「ほぐれ」とは、「飯粒同士の結着が弱くほぐれやすいこと」を指し、これは米飯の「おいしさ」(米の味や食感、口に含んだ際に感じられる風味から総合的に判断される好ましさ)に直接影響を与える重要な要因の一つです。おにぎりや寿司では消費者の嗜好性を向上させ、弁当においては容器への充填作業を容易にするという製造上の利点の指標ともなります。
従来技術における課題
中食用米飯の品質保持と製造効率に関して、以下の課題がありました。
• 米飯の「ほぐれ」の不十分さ
- 従来の米飯改良技術として、精白米の炊飯時にアミラーゼ、プロテアーゼ、リパーゼなどの酵素と、食塩およびサイクロデキストリンを添加する方法が知られていました(特許文献1:特開昭58-86050号公報など)。
- しかし、これらの従来の技術では、米飯のほぐれを十分に改善することができませんでした。このため、長時間の保管条件下でほぐれ性に優れた米飯を提供することが課題となっていました。
• 炊飯時における「加熱ムラ」の発生とそれに伴う問題
- 中食用米飯の製造では、工業用の大型炊飯釜(一釜あたり十キロ~数十キロ単位)で大量に炊飯されることが一般的です。
- この際、釜内部での米の対流が不十分になり、加熱ムラが発生しやすいという問題がありました。
- 加熱ムラが生じると、炊き上がった米飯の硬さや粒立ちが不均一になり、釜内部の位置によっては、米飯が塊状になったり、糊状になったりすることがあります。これにより、喫食時に満足な美味しさ(風味や食感)を感じられなくなるという問題が生じます。
- さらに、加熱ムラは炊飯釜の焦げ付きを引き起こしやすく、これが廃棄ロスによる収率の低下、その後の釜洗浄時の作業負荷の増大、そして炊飯釜自体の劣化といった生産性上の問題にもつながっていました。
- これらの理由から、中食用米飯の製造においては、加熱ムラを低減させることが強く望まれていました。
どんな発明?
2−1.発明の目的
この発明の目的は、上述の課題を解決するために、特定の米飯改良剤とその製造方法を提案することにあります。
2−2.発明の詳細
発明のコアとなる技術:米飯改良剤について
この発明の鍵となるのは、炊飯前に生米と水に添加する特定の成分を配合した「米飯改良剤」です。この改良剤は、長期保存後の米飯の「ほぐれ」と「おいしさ」を改善するだけでなく、炊飯時の加熱ムラや釜の焦げ付きといった製造上の課題も同時に解決します。
この米飯改良剤は、以下の3つの要素を全て満たすように設計されています。
1. グルタミナーゼの含有量または酵素活性
- 米飯改良剤中のグルタミナーゼ含有量が0.01~10.0 w/w%、またはその酵素活性が100 mU/g以上であること。
- この酵素は、炊飯中の米飯に浸透し、粘性の原因となる成分(主にデンプンなど)の流出を促進し、それらを分解することで、釜内部の加熱ムラを改善する可能性が示唆されています。
2. pH値
- 20℃における米飯改良剤のpHが4.6~9.0であること。
- このpH範囲を保つことで、炊飯初期段階において米飯中の「非解離型酢酸」の割合が適切に維持され、これが粘性成分の流出を促進する可能性があると考えられています。
3. 非解離型酢酸濃度:
- 米飯改良剤中の非解離型酢酸濃度が0.001~2.000 w/w%であること。
- 酢酸は水溶液中で分子の形(非解離型)とイオンの形(解離型)で存在しますが、この発明では非解離型酢酸が重要です。
- グルタミナーゼと非解離型酢酸が組み合わさることで、加熱ムラが改善され、ほぐれ性に優れた米飯が得られると考えられています。非解離型酢酸が米飯に浸透して粘性成分の流出を促し、グルタミナーゼがそれらを分解するメカニズムが推測されています。
その他の重要な配合成分と米飯改良剤の製造方法
上記の必須成分に加え、米飯改良剤には任意で以下の成分を含めることで、さらなる効果が期待できます。
• 食塩相当量
- 米飯改良剤中の食塩相当量が**5.0~25.0 w/w%**であることが好ましいです。
- 通常、食塩を添加すると米飯が硬くパサつく傾向がありますが、この改良剤ではグルタミナーゼとの相乗効果により、米飯表面のパサつきが改善され、同時に「しゃもじ通り」が良くなるという特異な効果が得られます。
• 糖質含有量
- 糖質含有量が0.5~50.0 w/w%であることが好ましい。
- 糖質は、グルタミナーゼによる米飯の柔らかくなりすぎを防ぎ、食感と成型性を向上させます。また、一般的に糖質を添加すると炊飯釜が焦げ付きやすくなりますが、この改良剤を使うことで焦げ付きが抑制される効果も確認されています。
- 特に、還元水飴や可溶性炭水化物が糖質の由来として好ましく、米飯の食味悪化を抑えつつ、ほぐれ効果を顕著にする働きがあります。
• アミラーゼ活性
- 米飯改良剤中にアミラーゼ活性が100 mU/g以上存在すると、米飯の「釜離れ(かまばなれ)」が良くなる効果が期待できます。アミラーゼはデンプンを分解する酵素です。
• 比重
- 20℃における比重が1.010以上であると、さらに良好なほぐれとおいしさが得られます。
• 米飯改良剤の製造方法
- 米飯改良剤の酵素活性を維持するため、製造時の殺菌処理は最高到達温度124℃未満で行うか、殺菌処理工程を設けないことが推奨されています。
本発明の米飯製造方法
この発明の米飯製造方法は、上記米飯改良剤を適切に用いることで、効率的かつ高品質な米飯製造を可能にします。主要な3つの段階があります。
1. 段階(i):炊飯前米飯の準備
- 生米と水に米飯改良剤を添加し、炊飯前の混合物を調製します。
- グルタミナーゼの含有量や活性が特定の範囲になるよう調整されます。
- 食用油脂を0.1~2 w/w%添加することができ、これにより米飯のほぐれが顕著に向上するという特異な効果が得られます。
- 改良剤添加後、80分以内に炊飯を開始することが、酵素反応による食味低下を防ぐ上で好ましいとされています。
- 主にジャポニカ米が推奨され、見た目アミロース割合が30%以下の米に対して特に有効です。
2. 段階(ii):昇温段階
- 炊飯前米飯を、釜底の昇温速度が6.0℃/分以上で98℃以上まで加熱します。
- この発明の改良剤によって釜内部の熱対流がスムーズになり、通常温度が上がりにくい釜底も素早く昇温し、加熱ムラが改善されると考えられています。
- 釜上部の昇温速度も同様に6.0℃/分以上であることが好ましいです。
- 炊飯開始後、釜の上部と底部が共に98℃に到達するまでの時間が3~15分以内であると、加熱ムラが小さいと評価されます。
3. 段階(iii):保温段階
- 昇温段階後の米飯を、釜底温度が98℃以上で2分間以上保持します。
- これにより、通常温度が上がりにくい釜底でも、十分な保温時間が確保され、品質の良い米飯が得られます。
- 釜上部も同様に98℃以上で2分間以上保持することが推奨されます。
- 釜の上部と底部の両方が98℃以上となる時間の差が15分間以下であることが加熱ムラ改善の指標であり、10分間以内であれば特に品質の良い米飯となります。
- 炊飯完了後、米飯を50℃以下に冷却処理することが好ましく、これにより長期保存における風味とほぐれを保ちます。
- 中食として、炊飯完了後から喫食までの間、0℃以上40℃以下の温度帯で8時間以上72時間以下保持する利用形態で特に有用性が発揮されます。
この発明がもたらす効果
この特許発明は、従来の米飯製造における課題を効果的に解決し、多岐にわたる優れた効果をもたらします。
• 長期保存後も際立つ「ほぐれ」と「おいしさ」
- 米飯改良剤の作用により、炊飯後長時間保存された米飯でも、飯粒がべたつかずにサラッとほぐれる状態を維持します。これにより、消費者は炊飯直後のような優れた風味と食感を長時間楽しむことができます。
• 炊飯時の加熱ムラ解消と釜の焦げ付き抑制
- 米飯改良剤の作用により、炊飯釜内部での熱対流が改善され、釜の上下における温度差(加熱ムラ)が大幅に低減されます。これにより、米飯の炊き上がりの品質が均一になり、塊状になったり糊状になる部分が減少します。
- さらに、加熱ムラの改善は炊飯釜の焦げ付きを防ぎ、廃棄ロスの削減、釜洗浄作業の負荷軽減、釜自体の劣化抑制など、製造ライン全体の生産性向上に大きく貢献します。
• 作業効率の向上:「しゃもじ通り」と「釜離れ」の改善:
- ほぐれ性の向上は、炊飯後の米飯をかき混ぜる際の「しゃもじ通り」を良くし、また弁当容器などへの米飯の充填作業を容易にします。
- アミラーゼ活性を持つ改良剤は、米飯が釜にこびりつくのを防ぎ、「釜離れ」を改善するため、効率的な製造に役立ちます。
• 汎用性の高さ:多様な米飯製品と米種への適用:
- この製造方法は、白飯、すし飯(酢飯)、赤飯、ピラフ、炒飯、炊き込みご飯、おこわといった、幅広い種類の中食用米飯に応用可能です。
- 特に、本来ほぐれにくい特性を持つジャポニカ米やアミロース含有量が低い米に対しても、その効果を最大限に発揮し、品質を改善することができます。
用語解説(本特許における定義)
• 米飯の「ほぐれ」:飯粒同士の結着が弱く、ほぐれやすいこと。食感の良さを高め、おにぎりや弁当の充填を容易にする特性です。
• 「中食(なかしょく)」:家庭外で商業的に調理・加工された食品を購入し、自宅などで喫食する形態の食事です。スーパーやコンビニで売られる弁当、おにぎり、寿司などが含まれます。
• 「加熱ムラ」:炊飯釜内部で米や水の対流が不十分になることで、釜の上部から底部にかけて温度差が生じ、炊き上がった米飯の品質が不均一になる状態を指します。
• 「カニ穴」:炊飯時に発生した蒸気が抜けた通り道の穴で、炊飯直後の米飯表面に円状の空洞として確認できます。カニ穴が多いほど、ほぐれが良好で良い加熱状態を示します。
• 「しゃもじ通り」:炊飯終了後の米飯を釜内部でかき混ぜる際の、かき混ぜやすさを指します。ほぐれが良い米飯ほど、しゃもじ通りが良くなります。
• 「グルタミナーゼ」:アミドヒドラーゼ酵素の一種で、グルタミンからグルタミン酸を産生する酵素です。
• 「非解離型酢酸」:水溶液中の酢酸分子が解離せず、分子の形で存在している状態の酢酸。pHと酢酸濃度によって求められます。
• 「食塩相当量」:食品に含まれるナトリウム量を塩化ナトリウム量に換算した値です。
• 「糖質」:食品表示法に基づき、たんぱく質、脂質、食物繊維、灰分、水分量を除いた食品の質量を指します。本特許では、水に溶ける「可溶性炭水化物」(単糖類、少糖類、糖アルコールなど)が主に言及されます。
• 「アミラーゼ活性」:デンプンを基質として分解する酵素の能力を示す指標です。
3.ここがポイント!
この特許発明の最大のポイントは、調理後に長時間保管された米飯(特に中食用米飯)の「ほぐれ性」と「炊飯直後の風味」を長時間維持し、さらに炊飯時の釜内部の「加熱ムラ」を改善する技術を提供することにあります。特に、スーパーマーケットやコンビニエンスストアで販売されるおにぎり、弁当、寿司などの「中食用米飯」において、優れた風味とほぐれを長時間保持し、加熱ムラを低減する点でこの技術は有用であるとされています。
4.未来予想
• 中食米飯の品質飛躍的向上と普及拡大
- スーパーマーケットやコンビニエンスストアなどで販売されるおにぎり、弁当、寿司といった「中食用米飯」において、調理後長時間保管された場合でも、炊飯直後のような「ほぐれ性」と「風味」が維持された、よりおいしい米飯を消費者は常に楽しめるようになるでしょう。これにより、中食米飯に対する消費者の満足度が向上し、さらに中食市場の成長が加速する可能性があります。
- 優れた風味・ほぐれが長時間保持されるため、流通の柔軟性が増し、より広範囲への配送や、多様な種類の米飯製品(白飯、すし飯、赤飯、ピラフ、炒飯、炊き込みご飯、おこわなど)の開発・提供が進む可能性があります。
• 食品製造業界の生産効率向上と食品ロス削減
- 工業用炊飯釜を用いた大量炊飯時における「加熱ムラ」が大幅に改善されるため、炊き上がりの米飯の品質(固さや粒立ち)が均一になり、焦げ付きによる廃棄ロスが減少します。これにより、製造収率が向上し、生産性の問題(釜洗浄の作業負荷増大、炊飯釜の劣化など)も軽減されるでしょう。
- 米飯の「しゃもじ通り」が良くなることで、弁当など容器への米飯の充填作業がより容易になり、製造現場の作業効率が向上します。
- これらの効率化は、全体的な製造コストの削減や食品廃棄物の削減にも繋がり、持続可能な食品供給に貢献する可能性があります。
この技術は、特に炊飯から喫食までの時間が長い中食産業において、米飯の「ほぐれ」と「おいしさ」を長時間保持し、かつ工業生産における「加熱ムラ」という課題を解決する点で非常に有用であると考えられます。
権利概要
発明の名称 | 米飯、その製造方法、米飯改良剤、米飯のほぐれを改善させる方法、及び米飯炊飯時における釜内部の加熱ムラを改善させる使用方法 |
出願番号 | PCT/JP2022/035889 |
公開番号 | 特開2025-39408 |
特許番号 | 特許第7309164号 |
優先日 | 2021年9月28日 |
公開日 | 2023年4月6日 |
登録日 | 2023年7月18日 |
審査請求日 | 2023年3月2日 |
出願人 | 株式会社Mizkan Holdings |
発明者 | 白石 旭 藤原 慎平 戸谷 真衣 |
国際特許分類(IPC) | A23L 7/10 (2016.01) |
経過情報 | 早期審査対象出願 |
積載量とコンパクトさを両立! 賢く変形する次世代田植機で作業効率アップ
日本の食卓に欠かせないお米。その栽培において、田植え作業は最も労力を要する工程の一つでした。かつて手作業が主流だったこの作業を劇的に効率化したのが「田植機」です。機械化の進歩により、広大な圃場での作業も可能となり、現代農業を支える基幹機械となっています。
田植え作業における予備苗の積載は、常に効率と作業者の負担軽減という、相反する課題を抱えていました。従来の田植機では、予備苗の積載数を増やそうとすると、予備苗のせ台の高さが増して苗の取り出しや積載が困難になり、また、苗が積載されていない時には作業者の移動を妨げるという不便がありました。
今回紹介する特許出願は、予備苗の積載量を増やしつつ、使わない時にはコンパクトになり、さらに苗の取り出しや積載を容易に行えるという、画期的な田植機についてです。
具体的にどのような田植機なのでしょうか。詳説していきます。
1.背景と課題
背景技術
田植機は、手作業で行われていた田植え作業を機械化し、効率化するために開発されました。これにより、広大な水田での作業が可能になり、米の安定供給に大きく貢献しています。特に、予備苗の供給は田植え作業の効率に直結する重要な工程とされています。本特許出願は、予備苗のせ台が備えられた田植機に関するものです。従来の田植機には、例えば特許文献1(特開2020-099262号公報)に記載されているように、複数の予備苗のせ台が、上下方向に所定の間隔を置いて配置された状態、および前後方向に一列状に配置された状態に位置変更可能に支持されたものがありました。
従来技術における課題
従来の田植機における予備苗のせ台には、以下の課題がありました。
• 予備苗の積載数の増加と作業性の悪化のトレードオフ
- 予備苗の積載数を増やすためには、予備苗のせ台の数を増やしたり、予備苗のせ台を大きくしたりする必要があります。
- しかし、従来の田植機でさらに予備苗のせ台の数を増やし、複数の予備苗のせ台を上下方向に配置させた場合、最上位に位置する予備苗のせ台の高さが高くなるおそれがありました。
- その結果、高い位置に予備苗のせ台が位置すると、そこからの苗の取り出しや積載が困難になるという問題がありました。
• 非使用時の機体上の作業者移動の妨げ
- 予備苗のせ台を大きくすると、苗が積載されていない時でも常に大きな予備苗のせ台が田植機に存在することになります。
- これにより、田植機上での作業者の移動がしにくくなるという不都合がありました。
どんな発明?
2−1.発明の目的
この発明の目的は、田植機において、予備苗のせ台への予備苗の積載数を増やしつつも、苗が積載されていない時には機体をコンパクトにできるようにすることです。さらに、予備苗のせ台からの予備苗の取り出しや積載を容易に行うことが可能となる田植機を提供することを目指しています。
2−2.発明の詳細
主要な構成
この田植機は、機体本体と、以下の特徴的な予備苗のせ台、およびその位置変更機構を備えています。
図1: 田植機の側面図 乗用型田植機の全体構成が示されており、前輪1、後輪2、機体本体3、リンク機構4、苗植付装置6、施肥装置7、整地装置8、ホッパー20、運転座席15、そして複数配置された予備苗のせ台が確認できます。空箱回収機構70も下段予備苗のせ台31の下方に配置されていることが分かります。
• 第一予備苗のせ台 (31)
- これは「下段予備苗のせ台」の一例であり、前後方向に延ばした展開状態と、折り畳まれた折り畳み状態とに切り替え可能です。
- 展開状態にすることで、予備苗の積載数を増やすことができ、上下方向の配列を増やすことなく大容量化を実現します。これにより、予備苗のせ台を高い位置に配置することを回避し、苗の取り出しや積載を容易にします。
- 苗がなくなった時には、折り畳み状態にすることで予備苗のせ台がコンパクトになり、作業者の搭乗スペースを広く確保できます。
- 下段予備苗のせ台31は、支柱16(支持フレーム部)に固定される第一部分31Aと、第一部分31Aに回動可能に支持される第二部分31Bを有します。これにより、第一部分31Aが強固に支持され、第二部分31Bも安定して支持されます。
- 展開状態の時、第二部分31Bの後端は運転座席15の前端よりも後方に位置し、作業者が苗マットを苗箱からすくい取る等の作業を効率良く行えるように配置されています。
図2: 田植機の平面図。機体本体3の上面から見た構成を示しています。予備苗のせ台の配置、特に第一部分31Aの載置部31Acの前側部分に空の苗箱が通過可能な開口73が形成されていることが示されています。また、上段予備苗のせ台32(第三予備苗のせ台)の回動軸芯P2の方向が、第二部分31Bの回動軸芯P1の方向と交差している平面視での関係が示されています。
• 第二予備苗のせ台 (33)
- これは「回動予備苗のせ台」の一例であり、第一予備苗のせ台31と上下方向に所定の間隔を置いて配置された「第一状態」と、第一予備苗のせ台31と前後方向に一列状に配置された「第二状態」とに位置変更可能です。
- 苗を載置する載置部33cには、複数のローラ34が備えられており、苗箱が円滑に移動できるようになっています。
図3: 田植機の正面図。機体本体3の前面から見た構成を示しており、予備苗のせ台の上下方向の配置や、人為操作部44(操作部)の位置などが確認できます。
• 位置変更機構 (40)
- 第一状態と第二状態とに位置変更可能にする機構です。
• 支柱16に固定された第一予備苗のせ台31と第二予備苗のせ台33に亘って設けられ、第二予備苗のせ台33を第一状態と第二状態とに亘って回動可能に支持するリンク部材(41a, 41b, 41c)を有します。
図4: 予備苗のせ台の側面図。第一予備苗のせ台31(下段予備苗のせ台)が、前後方向に延ばした展開状態(実線)と折り畳み状態(二点鎖線)に切り替わる様子が示されています。また、第二予備苗のせ台33(回動予備苗のせ台)が、第一状態(上下回動位置、実線)と第二状態(前後回動位置、二点鎖線)に位置変更される様子が、位置変更機構40のリンク部材(41a, 41b, 41c)と共に示されています。空箱格納部71と摺動部72の関係も示されています。
- 第一状態の時、第二予備苗のせ台33は第一予備苗のせ台31の上方に位置します。これにより、第一状態から第二状態への切り替え時に第二予備苗のせ台33の自重を利用でき、作業者が簡易に位置変更を行えます。
- リンク部材が側面視で略平行になるように取り付けられており、第二予備苗のせ台33が水平を保った状態で円弧を描くように回動します。
- 位置変更機構40は、人為操作によって第一状態と第二状態との位置変更を行う人為操作部44(操作部)を備えることが好適です。操作部44は長尺形状のレバー部材45を有し、その回動により位置固定と解除を切り替え可能です。
付随する構成
• 支持フレーム部 (16)
機体本体3に固定され、上下方向に沿って延びる支柱16が予備苗のせ台を支持します。
• 第三予備苗のせ台 (32)
「上段予備苗のせ台」の一例であり、第二部分31Bの回動範囲内に位置し、苗を載置可能な「使用状態」と、第二部分31Bの回動範囲外に位置する「回避状態」とに切り替え可能です。これにより、第三予備苗のせ台の配置の自由度が高まります。上段予備苗のせ台32の回動軸芯P2の方向は、第二部分31Bの回動軸芯P1の方向と交差するように構成されており、両者の衝突を回避しつつ距離を近づけて配置することが可能です。
• 受け部 (42)
支持フレーム部16に備えられ、第一状態においてリンク部材のそれ以上の回動を規制する役割を持ちます。棒状部材からなり、回転可能に設けられ、人為操作で支持状態と非支持状態を切り替えられます。
• 落下防止機構 (60, 64)
- 第一落下防止機構 (60): 第一状態において、第一予備苗のせ台31からの苗の落下を防止します。第二予備苗のせ台33による押下操作により、苗の落下防止機能を自動的に解除する機能も備えています。これにより、人為操作の必要がなくなります。
- 第二落下防止機構 (64): 上下回動位置において、回動予備苗のせ台33の後端部からの苗の落下を防止します。回動予備苗のせ台33が前後回動位置に切り換えられるとき、操作部64Bが第一部分31Aに当接することで上方へ回動し、苗の落下防止機能を解除します。
• 空箱回収機構 (70)
機体本体3に備えられ、空の苗箱を回収します。下段予備苗のせ台31の下方に配置され、空の苗箱を格納する空箱格納部71と、苗箱が摺動する摺動部72を有します。第二部分31Bの載置部31Bcには空の苗箱が通過可能な開口73が形成されており、空箱は開口73から摺動部72を経て空箱格納部71に回収されます。空箱格納部71の前端には手動で開閉可能な蓋体74が備えられています。
発明の効果
この発明によれば、以下の効果が得られます。
• 予備苗の積載数増加と作業性の両立: 折り畳み可能な第一予備苗のせ台と位置変更可能な第二予備苗のせ台を組み合わせることで、上下方向の配列を増やすことなく、予備苗の積載数を増やすことが可能です。これにより、高い位置に予備苗のせ台を配置することを回避でき、予備苗の取り出しや積載が容易になります。
• 非使用時のコンパクト化と作業者スペースの確保: 予備苗のせ台に積載する苗がなくなった時には、第一予備苗のせ台を折り畳み状態にすることで、機体をコンパクトにし、作業者の搭乗スペースを広く確保できます。
• 操作性の向上: 第二予備苗のせ台の自重を利用した位置変更や、第二予備苗のせ台の移動に連動して自動的に落下防止機能を解除する機構など、作業者の操作負担を軽減する工夫が凝らされています。
• 構造の安定性: 各予備苗のせ台や機構が支持フレーム部に強固に固定・支持されることで、全体の安定性が確保されます。
• 苗の円滑な移動と落下防止: ローラにより苗箱の移動が円滑になり、落下防止機構により苗の落下が防がれ、作業の安全性と効率が向上します。
• 空箱の効率的な回収: 空箱回収機構により、使い終わった苗箱を効率的に格納でき、圃場での散乱を防ぎます。
その他主要図の説明
本特許出願の図面は、発明の構成と動作を視覚的に理解する上で不可欠です。以下に主な図面とその内容を説明します。
図6: 人為操作部の構成を示す図。位置変更機構40の一部である人為操作部44(操作部)のレバー部材45とその配置が示されています。
図8: 第一落下防止機構の構成を示す斜視図。下段予備苗のせ台31に備えられた第一落下防止機構60の全体像が示されています。
3.ここがポイント!
この発明は、田植え作業における長年の課題であった予備苗の積載量と作業性の両立を、予備苗のせ台の構造と位置変更機構によって実現しています。これにより、農作業の効率向上と作業者の負担軽減に大きく貢献することが期待されます。
4.未来予想
田植作業の効率と生産性の向上
予備苗のせ台への予備苗の積載数を増やすことが可能となるため、苗の補充回数を減らし、長時間の作業が可能になります。
高い位置に予備苗のせ台を配置する必要がないため、また第二部分が運転座席に近い位置に配置されるため、予備苗の取出しや積載が容易になり、作業効率が向上します。
苗の落下防止機能が第二予備苗のせ台の押下操作により自動的に解除されるため、別途手動操作を行う手間がなくなり、作業の連続性が保たれます。
空の苗箱を回収する空箱回収機構が備えられているため、作業者が使用済みの苗箱をスムーズに処理でき、作業環境が整理されます。
作業者の快適性と安全性の向上
予備苗のせ台に苗が積載されていないときにコンパクトにすることができ、作業者の搭乗スペースを広く確保できるため、田植機上での移動がしやすくなり、作業者の負担が軽減されます。
高い位置に予備苗のせ台を配置することを回避できるため、苗の取出しや積載時の身体的負担や転落のリスクが減少し、安全性が向上します。
運転座席の近くで苗マットを苗箱からすくい取る等の作業を効率良く行えるため、作業者の疲労が軽減され、快適な作業環境が提供されます。
第一予備苗のせ台が機体本体に固定された支持フレーム部に強固に支持されるため、安定した作業が可能です。
より先進的で使いやすい田植機の普及
本発明のような多機能かつ人間工学に基づいた設計の田植機が普及することで、より多くの農家がこれらの恩恵を受け、農業全体の生産性向上に貢献する可能性があります。
特に、本発明の明細書には、支持フレーム部に衛星測位システム(GNSS:Global Navigation Satellite System)を用いて機体本体の位置情報を取得可能なアンテナユニットが備えられるとの記述があり、将来的に精密農業や自動運転との連携が進む可能性を示唆しています。これによりさらに高度な農業機械の発展に繋がるかもしれません。
これらの進歩により、将来の田植作業は、より効率的で、作業者にとって身体的負担が少なく、安全性の高いものとなるでしょう。
権利概要
発明の名称 | 田植機 |
出願番号 | 特願2023-146482 |
公開番号 | 特開2025-39408 |
優先日 | 2023年9月8日 |
公開日 | 2025年3月21日 |
出願人 | 株式会社クボタ |
発明者 | 後藤洋志 瀧尾和弘 藤井健次 |
国際特許分類(IPC) |
A01C11/025 A01C11/006 |