自動車産業が「電動化」「自動運転」「ソフトウェア定義車(SDV)」へと急速にシフトするなか、車載半導体・システム・チップ(SoC:SystemonChip)を巡る知財・開発競争が激化している。特に、ホンダが「車載半導体関連特許を8割増加」させているとの情報が注目されており、同時に中国自動車メーカーが特許活動を爆発的に拡大しているとされる。なかでもジーリー(Geely)が“18倍”という成長率を示したという報道もあり、両者の動きを比較することで、自動車×半導体知財戦略の“現在地”が浮かび上がる。
ホンダの半導体知財戦略:SoC開発を見据えた“出願加速”
ホンダはこれまで、モーターサイクルから四輪車に至る幅広い製品ポートフォリオを持つが、近年は「ソフトウェア/デジタル機能強化」「車載電装化」「自動運転・CASE(Connected, Autonomous, Shared, Electric)」への対応を明確化しており、この方向性と整合するかたちで車載半導体・チップ設計・統合システム分野の知財出願を拡大させているものと見られる。
「8割増」という数字は具体の資料出典が本稿執筆時点で明示されていないものの、半導体・電装関係の特許出願件数・公開件数において前年比で大幅増となったという報道を複数確認しており、ホンダが“チップを自社で設計・統合する時代を備えている”と読み取ることが可能だ。
なぜホンダがこのような知財戦略をとるのか、その背景を整理すると以下のポイントがある。
・車載半導体の自給化/内製化の必要
電動化・自動運転化が進むと、車両には従来以上に多種多様・高機能な半導体が搭載される。特に、ADAS(先進運転支援システム)や自動運転制御、高性能車載SoC、域内通信(V2X)/OTA(Over-The-Air)更新などを考えると、外部調達だけでは供給リスク・コスト・仕様確保で不十分となる。
このため、自社設計・他社IP活用・ライセンスを掛け合わせた半導体戦略を持つことが、競争力の源泉となる。ホンダが知財を増強するのは、まさにこの“内製化”または“半内製化”を見据えての動きと理解できる。
・統合ソフト/ハード開発体制への移行
従来、車の“ハードウェア+ソフトウェア”は分離していたが、現在は「車は“コンピュータ”である」という認識へと変化している。これは、SoCを中心にハード・ミドルウェア・アプリケーションが統合される構造を意味する。
この文脈で、ホンダの知財戦略には「SoC設計」「車載統合制御」「セキュリティ/OTA更新」「車内ネットワーク(E/Eアーキテクチャ)」「車両データ処理/AI活用」などが含まれており、これらを保護・囲い込むための出願活動が活発化していると考えられる。
・競争環境での優位確保
トヨタ、日産、マツダ、スズキなど国内他社、さらにはテスラ、フォルクスワーゲン、BYDなどグローバル競合が次世代車載半導体技術を強化している。知財を速やかに積み上げることは、将来のライセンス交渉・共同開発・他社との技術提携における交渉力となる。
ホンダが「8割増」という加速度をもって特許出願を増やすのは、この知財競争で後れを取らないための戦略と見ることができる。
中国勢の猛追:ジーリー18倍の驚異的伸び
一方で、中国自動車メーカーも“自動車×半導体”という文脈で急速に知財を強化している。報道によれば、ジーリーが特許出願数を“18倍”に伸ばしたという数字が出ており、これは“自社でSoC開発・車載半導体システム構築”を目指す姿勢の現れと捉えられている。
実際、分析論文では中国自動車産業と半導体産業の連携が“自動車が半導体を設計・調達・活用する”構図に変わりつつあると指摘されており、そこでは「車載半導体が中国企業にとって成長のカギ」とされている。
さらに、半導体出願数における中国企業の比率は2021〜2022年にかけて「全世界の約55%」に到達しており、倍増ペースで成長していることも報告されている。
ジーリーという企業に関して表に出ている「18倍」という数値の裏付けデータは公表資料内では明確には確認できなかったが、同社のESG報告書や知財動向を見ると「技術革新」「デジタル化・車載システム内製化」「国際標準・産学連携」のキーワードが並んでおり、知財出願件数・公開件数を急速に増やしていることは確かだ。
このように、中国勢は「数の拡大+車載半導体を起点とした技術戦略」という二軸で攻勢をかけており、ホンダのような日本メーカーも目を離せない状況にある。
特許活動から読み解く“SoC自社開発”の布石
ホンダとジーリーの特許動向を通じて、次世代車載半導体・SoC自社開発に向けた知財布石が見えてくる。
① 出願・公開ペースの加速
数値的に「8割増」「18倍」といった言葉が示すように、出願・公開ペースが加速している。これは“急ぎで知財を積む”ことで、設計開発・仕様確定・量産前のアドバンテージを得ようという意図が伺える。
このようなスピードを出すには、社内のR&D体制・知財部門・外部提携(チップ設計企業・EDAベンダー)との連携が洗練されている証拠でもある。
② 車載SoC・統合制御系にフォーカス
出願領域としては、SoC(中央演算チップ)・車両内ECUネットワーク・セキュリティモジュール・OTA更新機構・車載AI/センサー融合・電源/メモリ制御・車内通信(車載Ethernet、CAN/FlexRay後継)など、従来部品として外部調達されてきた“黒箱”領域に自社設計メスを入れるものが多い。
これらはまさに“ハード寄り”から“システム寄り”へ移行する自動車産業の変化を反映しており、知財獲得は“部品→プラットフォーム”という構造変化を先取りする動きと言える。
③ 標準化・ライセンス交渉力の確保
知財は単なる出願数だけでなく、どれだけ他社に参照されるか・業界標準に影響を与えるか・ライセンス対象になるかが重要である。中国勢が数で攻めているのに対し、ホンダなどはより質を重視して“ライセンスを取りやすい構成”“国際出願”を視野に入れた戦略を取っている可能性がある。
将来的には、車載半導体を巡る主要サプライチェーン・IPライセンス市場において、知財保有量が交渉カードとして機能することになる。
④ サプライチェーン・地政学リスク対応
車載半導体は世界的な供給制約・米中貿易摩擦・資源制約の影響を強く受ける分野となっている。特に中国勢が“内製化”を急ぐ背景には、外国部品・IP流出・輸出規制リスクを克服する狙いがある。
ホンダの知財加速も、海外依存の部品・チップ・ソフトウェアから脱却し、自社でコントロールできる技術資産を積むという危機感の表れとも読める。
日本自動車業界における課題と展望
ホンダの動きを機に、日本の自動車メーカー・部品サプライヤーにも以下のような課題と可能性が浮かび上がる。
・課題
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知財出願数・公開数の伸びが中国勢と比べて緩やかである:出願ペースを加速できなければ、将来の交渉力で後れを取る可能性がある。
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SoC・車載半導体設計の内製化は、従来の車載部品設計とは異なる専門性・投資負担を伴う。技術・人材・設計環境・IP戦略の再構築が必要。
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部品サプライヤー・OEM/自動車メーカー間の“ソフトウェア/システム”責任分担が未成熟なまま、ハードウェア・チップレイヤーに参入するにはビジネスモデルの変革が迫られている。
・展望
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日本勢が「質で勝つ」戦略を強化すれば、設計最適化、安全・環境規制適合・高機能車分野で強みを保てる。ホンダのように知財を積むことはその布石だ。
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国内サプライチェーン・EDAツール・チップ設計サービスを連携させた“車載半導体エコシステム”構築が鍵となる。知財交流・共同出願・アライアンスが今後の鍵である。
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グローバル市場では、中国勢が量・スピードで攻勢をかける一方で、日本勢は「安全・信頼性・高機能車」の付加価値で差別化できる可能性がある。知財戦略がその差別化を支える。
結び:知財は“車載半導体時代”の新たな戦場
ホンダの“8割増”という数字も、ジーリーの“18倍”という数字も、半導体/SoCを巡る自動車産業の構造的変化を示すシグナルである。
自動車が「移動の箱」から「コンピュータ+ネットワーク+サービスのプラットフォーム」へと変わる今、知財は単なる保護手段ではなく、競争優位の根幹資産となる。
ホンダもジーリーも、車載半導体を核とした次世代車両の開発を視野に、「設計から統合、知財まで」を押さえようとしている。知財出願を“量”で拡大する中国勢と、“質+戦略”で設計を狙う日本勢という対比も、今後の競争の構図を理解する上で有益だ。
日本企業は、出願スピードを加速しつつ、海外展開・ライセンス戦略・協業構図を再設計する必要がある。中国勢の猛追を前に、“量”だけでなく“実効性ある知財ポートフォリオ”の構築が、今後の勝敗を左右する。
この“知財戦争”は、半導体製造装置・車載チップ・ソフトウェア・システムアーキテクチャという重層的な領域を舞台としており、焦点を当てるべき新たな戦場であると言える。