本インタビューでは、画像内に可逆型の情報を埋め込む「グリーンノイズ式電子透かし」の開発者である河村尚登氏に、通常なら明かされることの少ないセキュリティ管理技術を活かした情報埋め込み技術のアルゴリズムを徹底説明していただきました。
専門領域として踏み入れ難いセキュリティにまつわるテクノロジーは、情報を守ると共に適切に情報を届ける技術としても活用が期待されます。開発に関わる方や技術を用いたサービスをデザインする多くの方にとって、多分野への技術応用のモデルケースとしてぜひ触れていただきたい貴重なお話をうかがいました。
河村 尚登
NAOTO KAWAMURA
キヤノン(株)で,主力製品のカメラやプリンタの開発や画像処理,画像符号化などの研究に従事。
キヤノンを退職後,フリーランスとして画像関連技術(画像デバイス,画像処理,画像セキュリティ等)の技術コンサルタントを行っている。工学博士。画像電子学会フェロー。
最近の著書として「次世代カメラのデジタル画像処理」,「次世代プリンタのデジタル画像処理」アマゾン(電子書籍)などがあり,画像処理技術やセキュリティ技術の解説をしている。
趣味は秘境・世界遺産巡りで写真を撮ることだが,コロナ禍でしばらく行けず,ストレスが爆発寸前。
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「潜む情報」、電子透かし
10数年前のオフィスでは、機密文書や特別な書類をコピーする必要があったというサラリーマン経験がある人は決して少なくないはずだ。そういった情報管理の在り方を問う機会はまた別に設けるとして、コピーを取ると浮かび上がる「ウォーターマーク」の存在を文字通り色濃く感じた人も同様に多いのではないだろうか。複写防止のために著作権情報やそれこそ「複写禁止」の文字列を紙面に残し、コピーやスキャナを通すと浮かび上がってきて書類の効力を失わせる…というアレだ。
そこから時代は進み、最近はそういった紙面を目にするのも公共機関の書類ぐらいに減ってきたように感じる。さて、その「情報」がどこにいったのかというと、なくなったわけではない。今回のインタビューを通して現在の情報ハイディング技術のひとつである「電子透かし」の技術とその活用方法についてぜひ見識を広げていただきたい。
河村氏は、キヤノン株式会社にて、プリンターやカメラなどの画像機器の開発に長く携わってきた。機能を作り出す一方で、機能が悪用されてしまう、たとえばプリンターを使った違法コピーの阻止の技術などの開発にも並行して取り組んできた。また、昨今のペーパーレスの風潮が事業の向かい風となる中、「紙」に付加価値をつけることを考えていかねばならない業種としては非常に厳しく革新的な時代をくぐりぬけてきた。
定年後は大学の講師を務め、現在はカワムラ・テクノラボという屋号にてフリーランスの開発者・顧問として、画像処理をはじめとした技術コンサルティングを行っている。企業人時代に培った技術と見識、そして開発者として今なお燃える志で、付加価値を持った紙を生み出す発明に至り、今回紹介する「電子透かし」の新技術を作り出したのだ。
画像埋め込みの電子透かし技術を明かす
電子透かしとは画像の中に情報を入れ、「一見したところでは普通の画像」だが、「専用のソフトウェアを通すと情報が浮かび上がってくる」という技術のことだ。著作権情報にとどまらず、URLなどのメタ情報を埋め込むこともできるため、画像に入れたその情報をスマホで撮影し、抽出のためのソフトウェアを介し情報を取り出すといったような仕組みも作れる。
たとえばその情報がWebのURLであればそこにリンクさせるなど、情報を使っていろいろなアプリケーションが作れる。「画像版のQRコードのようなものをイメージしてもらえると良い」と、噛み砕かれれば、納得する方も多いだろう。
「従来は、この埋め込み情報をオンライン上での電子データのままで利用していました。それを発展させ、印刷耐性のある電子透かし、プリントやスキャンに堪えられる強靭な透かしとして開発したのです」と河村氏。通常は強く埋め込むと元の画像が崩れてしまうものだが、今回の発明では画質劣化を起こさないようにグリーンノイズという仕組みを編み出した。
「(埋め込むグリーンノイズは)うねうねした図に見えますが、特定の形式で変換すると情報に変わります。スペクトルを一定のバンド幅に閉じ込めたこのノイズパターンは、最低周波数・最高周波数の調整の結果、人の目には可視性が低いけれど、プリンターやスキャナで読み込んだ時にはきちんと識別できる、というちょうどいい周波数帯で作成しています」。
実際の画像例を見せてもらえば、確かに目を凝らせばそこに埋め込まれたノイズは存在するが、それは元の画像の色味や見え方を阻害するようなものではない。『そこにある』とわかっている状態で注視してはじめて意識の内側に入ってくる程度のノイズだ。「グリーンノイズの模様はランダムゆえ境界がありません。模様と模様の継ぎ目がわかりにくいという特徴があるので、人の目で見たときの違和感もほぼないのです」。
このグリーンノイズがどのように情報を保持していて、そしてそれをどのように守っているのかというと、仕組みはこうだ。
「埋め込む文字情報をまず0と1のビット列に変換しコード化します。0と1の2パターンに対応するグリーンノイズを準備し、画像をブロックに区切ったものにパターンを埋め込んで終わりです。読み取る際は、その逆です。埋め込まれた情報を、ブロックに区切り、パターンで分解し0・1のビット列に戻しコードを復元する。そこから文字情報に再構築する、という流れです。」重要なのは、このグリーンノイズのパターンが無限に生成できるということだという。どういったパターンを設定したか、という情報を河村氏は「鍵」と呼んで説明した。
「変換のためのパターンを自分の指紋のように扱い、秘密鍵のように入れておくことができます。そうして透かし画像を作成したときに、その鍵の情報を使えば、一部の情報を除去したり、逆に付与したりもできます。元々の、埋め込みがされていない画像を復元することもできるということですね。『可逆型』の電子透かしであると言えます。」
変換のバリエーションが無限であること自体が、不特定多数の(ここでは「鍵」を持たない)人による読み取り・改ざんを防ぎ、一方で鍵を与えられた人は情報を修正・削除することができるという柔軟性の秘密がここにあった。
「セキュリティをより高めるために、パターンを反転・シフトさせて複数作成するという特許も出している」のだという。シンプルな説明の中に、複数の技術と工夫、そして堅牢に守ることと柔軟に扱うことのバランスへの配慮が輝いていた。
知られざるセキュリティ技術の可能性
電子透かしのような情報埋め込み技術というのは、その発展の元をたどれば、スパイ活動に端を発する。第三者に読み取られないよう、しかし届けたい人間には伝わるように情報を隠す。ゆえに、技術を公開されていなかった分野なのだ。現在はスパイではなくとも、セキュリティ技術の分野はどうしても国際標準化が難しい、と第一線を知る河村氏は渋い笑みも見せた。
「従来はそういう技術を公開しなかったのですが、この発明のアルゴリズムは、技術をすべて公開しても、鍵であるパターンがわからないと透かしの除去・改ざんはできないから、鍵がない状態でアルゴリズムだけが知られることには何の問題もありません」。
鍵を紛失したり盗まれたりしたら?と尋ねると、その鍵を使った電子透かしは書き換えや改ざんができてしまう、とリスクは認めた上で、こう続けた。「しかし、鍵は無限に生成できます。鍵作成の初期値に乱数を含むので、画像ごとにパターンを変えてやれば、万一鍵が流出しても1つの画像が暴かれるだけで他の画像には影響しません。」錠前のナンバーを回すように1つ1つ試してくことは理論上可能だが、無限に生成でき、なおかつ1つの画像に1パターンで使用できるセキュリティに対して、その理論はほとんど意味をもたないだろう。
除去や書き換えには鍵がいるが、閲読には専用のソフトウェアがあれば鍵なしでも読めるという点も巧妙だ。著作権者が自分の画像に電子透かしを埋めて公開したとして、画像に埋め込まれた著作権情報を、閲覧者が読むことは容易にできるのだから。 この絶妙な塩梅がサービスとしての活用の幅を広げている。
この例で作者が著作権を売る場合は、鍵を渡して譲渡相手を第2著作者とすることが可能になる。著作権保護を行いながら、販売利益を作り出すような仕組みも可能になる。また、書き込み自体はほぼリアルタイムに行え、抽出(読み取り)も1秒程度では可能であるというスマートさも魅力だ。
画像版のQRコードのような用い方を想定したアノテーション応用においてはさらに可能性は広がる。「スマホで画像を使ったアプリなんかを作っていたり…そういった分野はやはり親和性は高いと思いますが、どんな企業さんでも活用していただけたら嬉しいです。やはりアノテーションは面白いので、画像を読み取ってそこからメッセージを抽出するような事業やサービス展開をしたい会社さんなどはより用途が増えるでしょう」と、これからのフェーズである活用についても、河村氏はじっくりと前を見据える。
技術の活用と今後の展開
グリーンノイズによる電子透かし技術の具体的な活用・導入に向けては技術コストがまだかかる、というのも河村氏は織り込み済みだ。
「技術導入コストとして、実用的なところに持って行くためにはまだまだトランスファーしないといけないことがあります。
1つはQRコードのように使おうとすると、誤り訂正をいれていかねばならないという点。それを、特許譲渡やライセンス化した先のユーザーさんが自力でするのは難しい場合もあるので、その場合は技術指導が必要になります。
もう1つは特許には入れていないですがパターンを識別するためのディープラーニングのノウハウを伝える必要があります。ただ、それについても、その技術を理解してソフトウェアを作ったことのあるような企業でないと伝えてもすぐ活用するというのは難しい。」
ハードルにも、「もちろん、技術を使いたいと言ってもらえて、技術指導もぜひ!という場合はご相談に乗ります」と、心強く河村氏は頷き返してくれた。
特許自体の展望については、「特許は点であるので、複数取得しそれを面にすることを考えている」と、キヤノン時代に培った特許出願のスキルと経験値で足取りを固める。「他社がまねできないように関連特許を取得して、それらを群特許として譲渡するなどの活用も考えています。外国出願については、個人の規模では検討が難しいですが、パートナー企業さんなどが外国出願などもされるのであれば、今までの特許を発展させ、日本初の技術をワールドワイドに展開できるでしょう。」
そこはご縁ですが、と河村氏は柔らかくインタビューを締めた。国内外に今後もニーズが見込め、なおかつ、なんだか素人目には遠く厳しいセキュリティの分野が、私たちの身近な情報アクティビティの拡張をも叶えるのだとしたら、情報技術という世界はまたひとつ面白くなっていくように感じられる。