東レ特許訴訟で217億円勝訴 用途特許が生んだ知財判例の転機


2025年5月27日、知的財産高等裁判所は、東レの経口そう痒症改善薬「レミッチOD錠」(一般名:ナルフラフィン塩酸塩)をめぐる特許権侵害訴訟で、後発医薬品メーカーである沢井製薬および扶桑薬品工業に合計約217億6,000万円の損害賠償支払いを命じる判決を下しました 。東レ側は用途特許に関して権利を主張し、一審・東京地裁での棄却判決を不服として控訴。知財高裁は、後発品の製造販売が特許侵害に当たるとの東レの主張を全面的に認め、逆転勝訴となりました。対象となったのは、沢井製薬に約142億9,000万円、扶桑薬品に約74億7,000万円の賠償金です

1. 判決の背景と特許戦略

東レが特許を取得・主張したのは、ナルフラフィンの用途特許で、「透析患者のそう痒症治療に使用する」という限定的な利用法に関するものでした 。この特許は、2017年に特許期間の延長出願を行い、薬事取得に伴う期間延長を申請。しかし一度却下された後、東レが不服申し立てを経て特許延長が認められ、その扱いに関して争いが続いていました 。延長期間中には仮処分で製造販売の差し止め措置が取られ、2022年11月に延長特許が満了済みですが、延長そのものの有効性が争点となっていました

沢井製薬と扶桑薬品は、添加物を変えることで非侵害を主張し、東京地裁では「非侵害」と判断され東レの請求は棄却されていました。しかし、知財高裁では用途特許が有効とされ、後発品製造販売は特許侵害に当たると結論づけられたのです

2. 判決の業界インパクト

今回の判決は、賠償金額・217億円超という規模が日本の知財訴訟史上異例であり、従来数億~十数億円が相場とされてきたなか、その20倍に相当する金額が命じられた点で大きな衝撃を与えました 。用途特許に対しても広く保護を認める司法判断は、先発メーカーにとって強力な武器となり、特許戦略の重要性を改めて浮き彫りにしています。

「延長出願期間中も有効」との判断は業界に大きな示唆を与え、今後は先発メーカーが延長に慎重である必要性は後退し、むしろ積極的に活用してシェア防御を図る動きが加速するでしょう。一方、後発メーカーは「at risk launch(係争中の先行販売)」への判断材料が大きく変わる可能性があります。

3. 被告企業への影響

沢井製薬(サワイグループHDの中核子会社)は、今回の賠償額約142億9,000万円が2025年3月期の連結営業利益(約208億円)や純利益(約229億円)に大きく影響する規模であり、単年度の利益を大きく圧迫する可能性があります。特に、継続事業ベースの利益(約131億円)を上回る賠償額であるため、決算の修正や特別損失計上が不可避です

扶桑薬品工業も、自己資本規模に比して賠償額(約74億7,000万円)は非常に重い負担となり、2025年3月期の当期純利益(約27億8,000万円)を凍結・赤字化する水準 。株価への影響も大きく、判決直後に急落したとの報道もあり、財務と投資家信頼の両面が損なわれています

両社は即日「到底容認できない」として最高裁への上告を表明。判決確定時点での支払い義務が発生しますが、和解交渉や支払猶予の選択肢もあります。しかし、いずれの場合も財務面に大きな重圧がかかることは避けられません。

4. 東レのメリットと今後の展望

東レにとっては、用途特許の延長の有効性が認められただけでなく、賠償金217億円超の巨大キャッシュが見込まれます。同社の2025年3月期の連結純利益は779億円と高水準でしたが、今回の判決が確定すれば一時的な収益押し上げ要因となるため、株主還元や設備投資の原資として活用できる可能性があります。

さらに、東レのライフサイエンス部門は売上規模こそ大きくはないものの(約532億円)、海外展開にも力を入れており、中国では既にレミッチOD錠が承認・上市済みで将来の成長余地が残ります。用途特許という比較的“狭い”特許分野でも強固に守り切った今回の判決は、今後のグローバル展開戦略にも自信を与えるものとなるでしょう。

5. 今後の動向と示唆

  • 上告審の行方:沢井・扶桑は最高裁に上告を表明していますが、特許法の解釈にもとづく判断であるため、判決がひっくり返る可能性は低いと見られます。しかし、高裁判例としての意義が最高裁まで問われるか注目です。

  • 業界の知財戦略:先発メーカーは用途特許や延長制度を積極的に利用して、市場独占を長期化させる戦略が合理性を増しました。後発メーカーは特許クリアランスやリスクヘッジの体制構築が不可欠となります。

  • 財務・経営への影響:賠償金額は両社にとって“当期利益超”の負担を強いるため、当該年度の業績予想・投資計画見直しは避けられません。中期経営計画への影響も大きく、財務戦略の再構築が求められます。

  • 製薬市場の構造変化:ジェネリック中心の市場からバイオシミラー、高付加価値医薬への転換が進む中、知財リスク管理・差別化戦略が競争力の鍵になりつつあります。

この東レによる判決は、日本の製薬界、ひいては製造業全体の知財戦略に対する示唆と警鐘が詰まったケースと言えるでしょう。用途特許、延長制度、訴訟戦略の組み合わせによって、先発企業は市場の独占期間を実効的に延長し得る一方、後発企業は裁判リスクを負った市場投入のタイミングを再検討する必要があります。今後も知財リスクが企業戦略の真の分岐点となる構図が加速しそうです。


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