2025年現在、中国はAI(人工知能)分野における特許出願数・保有件数で世界最多となり、世界全体の6割を占めるに至った。かつては米国・日本・欧州が主導してきたAI研究とその産業応用の潮流は、今や急速にシフトしつつある。特許出願という知的財産の観点から見ても、「AI覇権」の構図は着実に変化している。
中国がここまでの特許大国になれたのは、偶然ではない。むしろ国家的な戦略に基づく極めて計画的な展開であり、その動きには地政学的な背景、経済政策、そして国内技術力の急成長が複雑に絡み合っている。本コラムでは、中国のAI特許戦略の実態と、その影響について分析する。
■ AI特許数で世界の6割:中国の「質と量」戦略
世界知的所有権機関(WIPO)の2024年末の報告によれば、AI分野における特許出願件数は、世界全体で累計190万件を超えた。このうち、中国が占める割合は約114万件、すなわち60%以上である。米国が約20%、日本が5%、韓国と欧州がそれぞれ3~4%といった構図になっている。
特筆すべきは、中国の特許出願が「単なる数」ではなく「戦略性と領域の広さ」を備えている点だ。出願されている技術分野は、画像認識、自然言語処理、AIチップ、製造業への応用、医療診断、そして最近では生成AIやマルチモーダルAIにまで及ぶ。
また、出願人も多様化しており、BAT(バイドゥ・アリババ・テンセント)に加え、ファーウェイ、バイトダンス、iFLYTEK(科大訊飛)、SenseTime(商湯科技)、メグヴィー(曠視科技)など、AI専業ベンチャーから通信・ハードウェア企業までが名を連ねる。さらには、清華大学や中国科学院といった教育・研究機関も積極的に出願している。
■ 国家戦略「新世代AI発展計画」の威力
中国がAI分野にこれほど力を入れる背景には、2017年に中国政府が発表した国家政策「新世代人工知能発展計画(Next Generation AI Development Plan)」がある。この計画は、2030年までに中国を「世界のAIリーダー」にするという明確なビジョンを掲げており、その中核に「AIに関する知的財産の確保」が位置づけられている。
この政策の下で、AIスタートアップには巨額の補助金が出され、大学・研究機関との共同研究が奨励されてきた。また、特許出願に対するインセンティブも強化され、地方政府単位での支援制度も整備された。さらに、政府が設立した「国家知識産権局(CNIPA)」では、AI関連出願の審査を迅速化する特別ルートが設けられている。
その結果、単なる研究成果の蓄積だけでなく、商用化を見据えた権利化の動きが加速した。これが、AI特許数における「圧倒的多数」の源泉となっている。
■ 米国や日本との違い:中国特許の実態とは?
ただし、「件数の多さ」がそのまま「質の高さ」につながるとは限らない。実際、中国特許の多くは国内向け出願であり、国際特許出願(PCT)ではまだ米国がリードしている。米中の特許戦略を比較すると、次のような違いが浮かび上がる。
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米国: アルゴリズムやアーキテクチャなど、技術的コアへの出願が中心。Google、IBM、Microsoft、OpenAIなどが主力。
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中国: 応用・実装寄りの出願が多く、例えば監視カメラ画像の分析やスマート工場向け制御など、現場ベースの知財化。
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日本: ロボティクスやエッジAIなどのハードウェア統合型技術に強み。ただし件数は減少傾向にある。
中国の特許の中には、審査基準が緩やかだった初期の出願や、質の担保が不十分なまま急増したものもある。一方で、ここ数年は質の向上も著しく、ディープラーニングの基礎理論や自然言語処理における国際会議での論文発表数も世界上位を占めるようになっている。
■ 「知財を交渉カードに」中国企業のグローバル戦略
中国がAI特許を大量に保有することは、単に研究成果の可視化という枠を超えて、「経済的・外交的な交渉カード」としても機能しつつある。すでにファーウェイは、通信インフラとAIの融合領域で多数の標準必須特許(SEP)を有しており、ライセンス交渉での主導権を握っている。
さらに、バイドゥは自動運転に関連するAI技術で数百件の国際特許を出願し、米Waymoや日本のホンダと技術的優位性を競い合う状況にある。AIチップを開発する寒武紀科技(Cambricon)は、米NVIDIAの代替を掲げ、ハードウェアとソフトウェア両面の知財構築に注力している。
加えて注目すべきは、AIを搭載した「スマート家電」や「スマート監視システム」など、国際市場で流通する製品にも中国のAI技術が組み込まれている点だ。これにより、製品輸出のたびに特許ライセンス料が発生し、「知財で稼ぐ中国企業」の構図が明確になってきた。
■ 生成AIとその先:中国の次なる戦略は?
中国は今、ChatGPTに代表される生成AIの領域でも巻き返しを図っている。バイドゥの「文心一言(Ernie Bot)」、アリババの「通義千問」、テンセントの「Hunyuan」など、多くの大規模言語モデル(LLM)が登場し、それに伴って特許出願も急増している。
さらに、中国は独自のLLM評価基準やセキュリティ規制の策定も進めており、単なる技術模倣ではなく「自国基準を輸出する」段階に入りつつある。これは、将来的に国際標準化(ISO/IECなど)で主導権を握る布石となり得る。
2024年には、国家主導の生成AI特許コンソーシアムも設立され、共同研究とライセンスビジネスの展開が始まった。つまり、AI知財の「囲い込み」から「活用フェーズ」への移行が加速しているのである。
■ 日本・欧米はどう対抗するべきか?
このような中国の躍進に対して、日本や欧米はどう対応すべきか。単に件数を追いかけるだけでは、中国の「量とスピード」に太刀打ちできない。むしろ、以下のような対抗戦略が求められる。
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①質の高い基礎技術の特許化: 特にハードウェア統合や信頼性の高いAIにおいて、日本企業の強みを可視化。
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②国際標準への関与: AI技術の国際的な枠組みに積極的に関わり、中国の独走を抑止。
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③特許プールや共同出願: 国内外の企業・大学が連携し、生成AIなどで共同出願体制を構築。
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④透明性と倫理性を重視: 「使われて信頼されるAI」に特化し、技術的信頼性と社会的信頼性の両輪を追求。
■ 結語:中国の特許戦略は「未来の交渉力」
AI分野における特許出願の波は、単なる技術動向ではなく、経済・外交・安全保障といった広範な分野に波及していく。中国が世界のAI特許の6割を握る今、それは「未来をめぐる交渉力の源泉」となりつつある。
日本をはじめとする各国は、この現実を冷静に受け止め、「量」ではなく「質と連携」で対抗する知財戦略を再構築する時に来ている。