Appleは2025年8月14日、米国市場において「血中酸素(Blood Oxygen)」計測機能をApple Watchに再導入することを発表しました。対象となるのは Apple Watch Series 9、Series 10、そして Apple Watch Ultra 2 であり、ソフトウェアアップデートによって利用が可能になります。これは単なる機能復活ではなく、従来の方式を見直し、iPhoneを介した処理方式を採用する「再設計版」として提供される点が大きな特徴です。
この発表は、米国関税当局が新方式を合法と認めたことで実現しました。長らくAppleを苦しめてきた医療機器メーカー Masimo との特許争いが、少なくとも血中酸素計測に関してはひとまずの決着を見たことを意味します。Apple Watchユーザーにとっては待望のニュースであり、同時にAppleの戦略転換を象徴する出来事とも言えます。
■ 背景:Masimoとの係争と輸入禁止
AppleとMasimoの争いは、Apple Watchの健康機能が急速に拡大してきた時期に端を発します。Masimoは医療用パルスオキシメータの大手企業であり、血中酸素濃度測定に必要な光学技術やアルゴリズムに関する数多くの特許を保有しています。
2020年にApple Watch Series 6が初めて血中酸素計測機能を搭載した際、MasimoはAppleが自社技術を盗用したとして訴訟を提起しました。特に「光センサーの配置」と「信号処理アルゴリズム」に関して、Masimoの技術を模倣していると主張したのです。
その後、2023年に米国国際貿易委員会(ITC)はMasimoの主張を一部認め、Apple Watch Series 9およびUltra 2の米国への輸入を禁止する命令を出しました。この決定はAppleにとって大きな打撃であり、米国内で販売されるモデルから血中酸素機能を削除する対応を余儀なくされました。つまり、ユーザーが手元のWatchで計測を試みても「この地域では利用できません」と表示される状態が続いていたのです。
■ 再設計版:iPhone経由での計測処理
今回Appleが導入した「再設計版」は、従来方式から大きく変化しています。従来はApple Watch本体で測定・計算・表示が完結していましたが、再設計版では次のような流れになります。
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Apple Watchで血中酸素測定を開始。
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光学センサーで取得したデータをiPhoneに転送。
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iPhone側でアルゴリズム処理を実行し、数値を算出。
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結果は「ヘルス」アプリ内の呼吸セクションで確認可能。
つまり、Watch単体では完結せず、必ずiPhoneが近くにある必要があります。この変更により、Masimoが主張していた「デバイス内での光学的測定アルゴリズム」に関する特許を回避できる形となりました。
ユーザー体験の面では「手首で完結しないのは不便」という声が予想されるものの、機能自体が失われていた状態を考えれば、大きな前進と受け止められています。
■ 対応デバイスとソフトウェア要件
今回の再設計版は以下の環境で利用可能になります。
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対応デバイス:Apple Watch Series 9、Series 10、Ultra 2(米国モデル、かつ血中酸素機能が無効化されていたもの)
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必要ソフトウェア:iOS 18.6.1(iPhone)およびwatchOS 11.6.1(Apple Watch)
アップデートを適用すれば、計測機能が順次有効になります。なお、2024年以前に販売されたSeries 6〜8などのモデルは従来通りの方式を維持しており、今回の制限の影響を受けません。また、米国外で購入されたモデルも引き続きWatch単体で計測が可能です。
■ ユーザー視点での評価
Apple Watchの利用者にとって、血中酸素計測は健康管理の安心材料の一つでした。睡眠時の呼吸状態、登山や高地での酸素レベル確認など、日常の健康だけでなくアウトドアやフィットネス分野でも重宝されています。
そのため、米国で突然利用できなくなったことは、多くのユーザーから不満の声を集めました。今回の復活は「完全な元通り」ではないにせよ、「使えないよりは遥かに良い」という評価が大半を占めるとみられます。
ただし、iPhoneを介さなければならないため、特に就寝時やスポーツ中など、iPhoneを持ち歩かないシーンでの利便性は低下します。Appleとしては、ユーザー体験を犠牲にしてでも法的リスクを回避し、米国市場での販売を継続することを優先した格好です。
■ Appleの戦略と今後の展望
Appleにとって今回の発表は、9月に控える新製品発表イベントの前に重要な布石となります。例年、新型iPhoneや新型Apple Watchは秋に発表されますが、その直前に健康機能が復活することはマーケティング的に大きな意味を持ちます。
Appleはこれまで「健康」をプロダクトの差別化要素として強調してきました。心電図、心拍数、皮膚温測定、そして血中酸素といった機能は、その象徴とも言えるものです。今回の復活によって、「健康のためのApple Watch」というブランドイメージを守ることに成功したと言えるでしょう。
一方で、Masimoとの係争は完全に終わったわけではありません。輸入禁止措置が解除されたのは再設計版の導入によるものであり、裁判自体は続いています。Masimoの特許は2028年に期限を迎えるため、今後Appleがどのように戦略を描くか注目されます。
■ まとめ
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血中酸素機能が米国で復活
Series 9・10・Ultra 2が対象。再設計版としてiPhone経由方式を採用。 -
背景はMasimoとの特許紛争
光学的測定アルゴリズムをめぐり争いが続いてきたが、再設計によってひとまず合法と判断された。 -
ユーザーへの影響
利便性はやや低下するものの、機能そのものが使えるようになった点は大きな改善。 -
Appleの戦略
健康機能を維持し、秋の新製品発表に弾みをつける。訴訟は継続中だが、2028年の特許満了まで耐え抜く構え。
Apple Watchにおける血中酸素計測機能の復活は、単なる技術的調整ではなく、特許係争と戦略的妥協の産物です。Appleはユーザー体験の一部を犠牲にしつつも、米国市場における販売とブランド価値を守り抜きました。健康機能を軸に成長してきたApple Watchが、再び本来の姿を取り戻すまでには時間を要するかもしれません。しかし今回の決断は、Appleが「健康」というテーマをいかに重視しているかを改めて示すものだと言えるでしょう。