中国勢、光学の牙城を突破──超短焦点レンズ


近年、車載ディスプレイ(インフォテインメントやHUD)市場において先進技術が次々と投入されています。その中でも一際注目を集めているのが、「超短焦点プロジェクター技術」です。この技術は、わずか20〜30センチという極めて短い距離からクルマのダッシュボードやフロントウィンドウへ鮮明な映像を投影できる利点を持ち、車内デザインや利便性を劇的に変えるポテンシャルを秘めています。

特許の壁を破った中国企業

本年(2025年)注目を集めるニュースとして、中国のスタートアップ「昇暘光学科技(昇暘光学)」が、大手日本企業リコーが長年握っていた超短焦点レンズの特許を回避し、自社の技術開発に成功したという報道があります。リコーの超短焦点レンズは、2012年以降、世界市場において60%以上のシェアを占め、ソニー、エプソン、ライカ、LG、サムスンといった光学機器の巨人たちも特許の壁を突破できず、苦戦を強いられてきました。

しかし、昇暘光学は、独自の設計によって“リコー特許回避”に成功。これにより、同社はリコー以外で唯一、超短焦点レンズを車載分野へ供給できるメーカーとして急浮上しています。背景には、中国政府による自動車内インフォテインメント強化策や、自動運転に連動した先進表示技術への国家的後押しがあるとみられます。

技術概要と可能性

超短焦点プロジェクターの最大の特徴は、「狭小な設置スペースでも大画面表示を可能にする」という点です。これにより、従来の車載ディスプレイ(液晶/有機ELパネル)では困難だった曲面ダッシュボードや、HUDスタイルのフロントウィンドウ単体への投影が現実となります。さらに、プロジェクター式の利点として、厚みの薄さや可変スクリーン形状への対応があるため、デザイン自由度は格段に向上します。

具体的には、以下のような応用が期待されています。

  1. HUD(ヘッドアップディスプレイ)強化:速度や車間距離、ナビ案内などを運転視線に重ねて表示し、安全性と操作性を両立する。

  2. AR表示システム:カメラ映像をリアルタイムに加工し、車線逸脱警告や歩行者検出情報などを道路状況に重ねて表示する。

  3. エンターテインメント機能:シート後部や天井に映像を投影し、後部座席エンタメ空間を創出。

  4. 柔軟な車内レイアウト:物理ディスプレイ不要で、フレキシブルな空間デザインが可能。

こうした用途は従来の固定ディスプレイに比べ、設計の自由度やコスト面での優位も期待でき、自動車メーカー、部品サプライヤにとっても大きな魅力となっています。

課題と知財戦略

とはいえ、昇暘光学が突破したのは“特許回避”であり、今後さらなる知財戦略が求められます。競争相手であるリコーはもちろん、ソニーやサムスンなどが依然として超短焦点技術の基礎部分を押さえており、別の視点や応用技術で特許攻勢を続ける可能性があります。

また、中国政府の知財保護体制は改善されているとはいえ、依然として権利行使や国際裁判での不利さは否めません。昇暘光学が国外市場、特に欧米や日本で技術を展開する際には、特許訴訟リスクやライセンス契約、パートナー選定などの面で慎重な戦略が必要です。

市場インパクトと日本企業への示唆

車載ディスプレイ市場は、2025年時点で急速な拡大期にあります。特に、自動運転技術の発展に伴い、従来のナビ・メーター用途から、ARやインフォテインメント領域へとシフトしつつあります。超短焦点プロジェクターは、この潮流と非常に親和性が高く、「設置スペースの制約」「厚みの問題」「デザイン制約」といったディスプレイ技術のボトルネックを解消できる鍵となります。

日本勢にとっても、リコーに依存しない新たなサプライヤの登場は、競争的な選択肢を意味します。リコー自身も、自社の特許にとらわれず、さらなる高性能化(高輝度・高解像度・耐熱性・耐振動など)や車載特化設計へと進化させることで、リードを守る道があります。一方、他社との連携や共同開発によって、知財プールを拡充し、攻守両面の戦略を強化する可能性もあります。

今後の展望

昇暘光学の今後のカギは「スピード感」と「品質担保」、そして「グローバル知財戦略」にあります。特に欧州・米国市場ではCARB(カリフォルニア大気資源局)やNHTSA(米国道路交通安全局)などの規制対応、ISOやSAE規格取得が不可欠です。また、パートナーとしての自動車メーカーやTier1(第1ティア)向け供給体制を整備し、信頼性と量産体制を証明できるかも重要なポイントとなるでしょう。

日本企業にとっては、今回の出来事が「特許にしがみつくだけでは先細る」という教訓になる可能性があります。むしろ「知財を起点にした応用・共創」こそが、次世代車載技術での競争力形成には欠かせません。さらに、従来の光学設計技術の延長ではなく、「ディスプレイ+ソフトウェア+UX」という複合体験価値の設計力こそが、真の差別化要素となります。

中国スタートアップが日本勢の牙城を揺るがす「事件」は、新たな技術競争の幕開けを告げています。特許に守られた技術ではなく、どれだけ広く・深く・速く応用できるか。車載ディスプレイの未来は、知財戦略と技術戦略を両立させる者が制する―そんな時代に突入しつつあります。


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