2025年8月6日、ドイツ自動車工業会(VDA)のユルゲン・ミンデルCEOは、欧州委員会が標準必須特許(Standard-Essential Patents: SEP)に関する規制案を撤回したことに対し、以下のような声明を発表しました。
「欧州全体の技術進歩に重大な悪影響をもたらす」との強い懸念を示し、特にドイツの自動車産業だけでなく、欧州のイノベーションや競争力においても損害が避けられないとの評価です 。
1. 背景:SEP規制案とは何だったのか
SEPとは、5G、Wi-Fi、Bluetoothなどの技術標準を実装するために不可欠な技術で、そのライセンス供与がFRAND(公平・合理的・差別なく)条項に沿って行われるべきとされています 。
欧州委員会は2023年4月、このSEPに関する新たな規制案(いわゆるSEP-VO案)を策定し、次のような仕組みを導入しようとしていました:
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SEP侵害訴訟前に、SEP登録とEUIPO(欧州知的財産庁)による仲裁手続きの義務化
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SEP登録の透明性確保とロイヤルティ料率の公表
などです 。
これにより、不透明かつ高コストなライセンス交渉や訴訟が減少し、中小企業や自動車メーカーのイノベーション活動にとって有益になるとの期待がありました 。
2. 撤回の経緯と影響
しかし、2025年2月11日付で、欧州委員会は「agreement(合意)の見通しがない」として、このSEP規制案をワークプログラム「Moving forward together」において撤回しました。
この撤回に対し、ノキアなどのSEPホルダーは賛成し、「世界的なイノベーションのエコシステムへの悪影響になる」と主張した一方、Fair Standards Alliance(BMW、テスラ、アップルら加盟)は「予測可能かつ公正なSEPライセンス制度を支えるべきだ」と撤回にショックを表明しました。
3. VDA(ドイツ自動車工業会)の視点と声明内容
今回の声明では、以下の点が強調されています:
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SEPの重要性:技術標準の開発と実装において不可欠な役割を担う存在であること。
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市場の混乱:現状ではとくに無線通信分野で、ライセンス供与が不透明かつ非効率で、高額訴訟が頻発している点。
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法的枠組みの必要性:法的に安定した制度により、これらの問題を解消できる可能性があると指摘。
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技術進歩・公正競争への影響:規制撤回によって、欧州企業が重要技術への公平なアクセスを失い、グローバルな競争力や技術主権が損なわれる危険性を強調。
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今後の期待:VDAは欧州委員会に対して、引き続き法制度の整備を通じたデジタル分野における「Automotive Action Plan」の目標達成を強く求めています
4. 欧州全体への波及と今後の展望
この一連の動きは、単なる自動車業界内の意見の衝突ではなく、欧州のイノベーション基盤に関わる中長期的な政策問題を含んでいます。
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透明性と法的安定性の欠如:現在のSEPライセンス市場の混乱は、自動車だけでなく通信機器、IoT、医療機器など、幅広い分野に波及する可能性があります。
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投資と製造の欧州回帰への障害:不確実性の高い制度環境では、企業は投資やサプライチェーンの欧州内回帰に消極的になる可能性があります。
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政治的・司法的変化の可能性:Pinsent Masonsのコメントによれば、EPO(欧州特許庁)の研究や政治圧力を受け、より実行可能な政策提案が模索されているものの、短期的な復活は難しい見通しです。
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世界との整合性・貿易問題:例えば、中国によるグローバルなSEPロイヤルティを裁判所が設定する事例に対して、EUはWTOへの提訴に踏み切っており、技術と知財を巡る国際舞台における緊張も高まっています。
5. まとめ:なぜ「重大な悪影響」と表現されたのか
VDAが「欧州全体の技術進歩に重大な悪影響」と語ったのは、次のような背景があるためです:
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制度的不備がイノベーションを阻害:不透明かつ訴訟リスクの高い環境では、企業は技術導入に慎重になり、新しいサービスや製品開発への抵抗が生まれます。
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公平な競争環境の喪失:SEPへのアクセスに制限や不確実性があれば、規模の小さい企業や新しい参入者は競争から排除され、大手が有利になる懸念があります。
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欧州の技術主権へのダメージ:EU内での標準実装や供給体制が不安定になると、全体として欧州の技術的自立性が弱まります。
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政策的対話の重要性:VDAは規制撤回そのものを非難するだけでなく、今後の制度設計と対話継続を強く求めている点も注目されます。