序章:学術の聖地に急展開する“知財の戦場”
2025年8月、トランプ米政権(第2期)は、学術界の最高峰たるハーバード大学に対し――今度は“特許権”の面から――強烈な圧力をかけ始めました。これまでの研究資金凍結や留学生排除策に加えて、特許権の没収や第三者へのライセンス付与をちらつかせることで、学術の自由と大学運営への介入が一層深刻化しているのです。
1. Bayh-Dole法を武器とするトランプ政権
アメリカ連邦法であるBayh-Dole Act(バイ=ドール法、1980年制定)は、研究補助金を受けた大学に特許の取得権を認めつつ、強力な開示義務や「アメリカ国内製造の促進」といった条件を課す内容です。違反があれば、政府は特許権そのものを“march-in”(行進権)で奪取、あるいは第三者にライセンスする権利を持っており、今回トランプ政権はその制度を改めて活用し始めました 。
8月8日付で商務長官ハワード・ラトニックがハーバード総長に宛てた書簡では、「大学が連邦支援に伴う法的義務に違反している」として、特許情報の全面的な提出と規制順守の証明を9月5日までに提出するよう強く求められました。
2. 拡大する圧力:資金凍結から知財まで
この攻勢は、ただ特許に関わるものだけではありません。すでに数十億ドル規模の研究助成金の凍結や税制上の優遇取り消し、留学生受け入れ制限の試みを実施してきた政権が、ついに「知財」まで追及の範囲を広げています。
例えば、DHS(国土安全保障省)が学生ビザ関連の資格取り消しを試み、連邦裁判所により差し止められた事実は記憶に新しいでしょう。さらに、教育省がハーバードへ連邦助成の提供停止を通告し、大学側は違憲として訴訟に踏み切っています。
今回の「march-in」措置は、特許という資源そのものを国家のコントロール下に置く手段です。技術の独占的利用、すなわち発明の公共への還元と商業利用が問題視されていると同時に、これは大学の自主性や研究の自由を脅かす深刻な局面といえます。
3. ハーバードの反抗と法廷闘争
ハーバード大学は即座に反発を強め、「学術や言論の自由を守るため」の措置であると主張。今回の措置も「報復的行為」と位置づけています 。
すでに連邦裁に対して複数回の訴訟を起こし、7月には審理も行われており、判決はまだ下されていません 。
4. 他大学への横展開:前例作りの動機
注目すべきは、これが単なる個別大学への対応ではなく、制度的な変化を狙った“ショーケース”である点です。コロンビア大学はすでに約2億ドルの和解金を支払い、運用条件の変更を受け入れました。同様にブラウン大学も折り合いをつけていますが、ハーバードは今も強硬姿勢を崩していません 。
トランプ政権はこの事例を足がかりに、他のエリート校にも同様の対応を拡大する狙いがあると見られます。UCLAにも巨額の和解を要求している状況からも、それは明らかです 。
5. 学術界への衝撃と展望
もし今回の政権の試みが成功すれば、学術界は以下のような重大な影響を受ける可能性があります:
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大学の特許収益の大幅減少:多くの研究成果・技術開発が特許対象であるハーバードにとって、潜在的権利の喪失は収益基盤を揺るがします。
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研究の自由と方向性への国家介入:研究者が連邦の介入を恐れて、公平な評価に基づかない研究選択を強いられる状況に陥る恐れがあります。
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国際研究協力への悪影響:留学生受け入れ制限はもちろん、対外的学術交流や海外パートナーとの信頼関係にも深刻な打撃をもたらします。
その一方で、ハーバードが確固たる姿勢を保持し続けることで、アカデミックな自治権や知財保護の重要性を再確認させる契機ともなり得るでしょう。
結びに
学問と知財の自由をめぐるこの攻防は、単なる大学と政府の対立にとどまらず、「国家と学術の関係性の再定義」としての歴史的転換点となり得ます。
ハーバードとトランプ政権がぶつかるこの最前線は、私たちが今後の大学のあり方、研究の独立性、公平性をどのように守るかの象徴的節目です。