2025年、オムロン株式会社は、自社が保有する「ユニバーサルものづくり」に関する複数の特許技術を無償で開放することを発表した。この動きは単なる企業の社会貢献の枠を超え、製造業全体、ひいては日本社会の在り方に大きなインパクトをもたらす可能性を秘めている。
■「ユニバーサルものづくり(ゆにもの)」とは何か?
まず、オムロンが提唱する「ユニバーサルものづくり」、通称“ゆにもの”の概念を理解する必要がある。「ゆにもの」とは、年齢・性別・国籍・障がいの有無を問わず、誰もが安心して働ける製造現場の構築を目指す考え方である。これはいわば、製造業における「ユニバーサルデザイン」の実践であり、人間中心の製造現場の実現に向けた思想と技術の融合である。
オムロンは長年にわたり、協働ロボットや人間工学に基づいた作業支援技術、安全センサー技術などの開発を進めてきた。障がいを持つ作業者や高齢者でも安全かつ効率的に作業できる環境づくりは、日本が抱える「労働人口の減少」という構造的課題に対して、極めて現実的かつ効果的な処方箋となる。
■特許無償開放の背景と意図
今回の特許無償開放により、製造業他社はオムロンの技術を自由に活用することが可能になる。通常、特許とは競争力の源泉であり、他社の模倣を防ぐために保護されるものである。にもかかわらず、オムロンがその知的財産を手放す形で「共有」するという決断に踏み切った背景には、企業理念に基づいた深い意志がある。
オムロンの創業者・立石一真氏は、「企業は社会の公器である」という理念を掲げた。この考え方は現在も脈々と受け継がれ、「社会的課題を解決する技術の実装」こそが企業の使命であるという価値観が根底にある。つまり、特許という“武器”を“共創の道具”へと転換することによって、持続可能な社会の実現を一企業だけでなく産業全体で牽引しようという試みなのである。
■“開放”がもたらす製造現場の変革
オムロンが無償開放した特許群には、例えば以下のような技術が含まれる:
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作業者の動きをセンシングし、無理な姿勢や負担の大きい動作を検出・改善する支援システム
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多様な身体能力に対応する作業台の高さ調整や表示装置のインターフェース技術
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聴覚・視覚などに障がいを持つ作業者向けのマルチモーダル通知システム(光・音・振動などの併用)
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AIを活用した人と機械の協調制御アルゴリズム
これらの技術は、すでに一部のオムロン工場で実証済みであり、高齢者や障がい者の就労機会を拡大しつつ、生産性を維持・向上させるという結果を出している。他企業がこのノウハウを応用すれば、全国の製造現場に多様な人材が自然に溶け込む土壌が整うことになる。
■“共生社会”の中核としての製造業
「共生社会」という言葉は福祉や教育分野でよく用いられるが、実は製造業こそがその実現の鍵を握る可能性がある。なぜなら、製造業は多種多様な工程・役割を内包しており、それぞれの特性に応じた“働き方の多様性”を受け入れる土壌があるからだ。
例えば、聴覚に障がいを持つ人が視覚的な指示系で作業を行い、高齢者がAIアシストで複雑な操作を避けながら組立てを担い、身体に制約のある人が専用の治具を使って安全に部品検査を行う――そんな風景が当たり前になることで、工場は「限られた人だけが働ける場所」から「誰もが自分らしく働ける場所」へと進化する。
■グローバルへの波及とSDGsとの連携
オムロンの取り組みは国内にとどまらない。グローバルに展開する製造業において、ESG(環境・社会・ガバナンス)やSDGs(持続可能な開発目標)の達成は重要な経営課題である。「ゆにもの」の実践は、SDGsの第8目標「働きがいも経済成長も」や、第10目標「人や国の不平等をなくそう」といった目標に直結するものであり、国際的にも高く評価されるポテンシャルを持っている。
すでにアジアを中心とした新興国では、日本企業の進出に伴い現地雇用の多様化が進んでいる。言語・文化・身体的な特性の違いを超えて、一人ひとりが尊重される製造現場のモデルが輸出されることは、日本の技術力と倫理観がグローバルに評価されるチャンスでもある。
■未来に向けて:技術を超えた“意志”の共有
今回の特許無償開放は、単なる技術提供ではない。「社会全体で共生社会をつくる」というオムロンの意志の発露であり、その意志を“技術”という言語で他者と共有する行為だ。これをどう受け取り、どう実装するかは、今後の企業や自治体、教育機関、さらには我々市民の姿勢にかかっている。
製造業が変われば、社会が変わる。
“ゆにもの”がもたらすのは、効率や生産性の向上だけではない。
そこには、人間の尊厳と多様性へのまなざしがある。
オムロンの挑戦は始まったばかりだが、その波紋は、静かに、そして確実に社会を変えていく。