“知財インフラ国家”を牽引するサムスンの知財戦略


韓国の特許庁(KIPO:Korean Intellectual Property Office)が最新の統計を公表し、2024年度の国内企業別特許登録数においてサムスン電子が1位となったことが明らかになった。登録件数は年間約1万5,000件に達し、2位以下を大きく引き離す圧倒的な数字である。これは単なる技術開発の成果というだけでなく、韓国全体の産業構造の変化や、知財政策の巧拙、さらにはグローバル競争における韓国の立ち位置を反映していると言える。

本稿では、サムスン電子の特許戦略の特徴、韓国全体の知財インフラ、そして特許の量から見えてくる質的課題について、独自の視点も交えながら掘り下げていきたい。

■ サムスン電子、特許登録数で圧倒的首位

KIPOの統計によると、2024年に韓国内で登録された特許のうち、サムスン電子が保有する件数は全体の15%以上を占めた。分野としては、半導体、ディスプレイ、通信(6G含む)、AI(生成系含む)、ロボティクス、医療機器などに広く分布している。

特に注目されるのは、半導体の先端パッケージ技術や、人工知能チップの設計に関する出願で、これらは米国のNVIDIAやTSMC、日本のRapidusとの競争を見据えた布石でもある。サムスンは“量”だけでなく、戦略的出願や審査請求のタイミング制御といった“質”においても年々巧妙さを増している。

■ 韓国企業全体でも出願数が急増中

KIPOの同報告によれば、サムスンに次ぐ特許登録企業としてはLG電子、LG化学、現代自動車、SK hynixなどが上位に名を連ねている。とりわけLGグループはOLED関連、EVバッテリー、素材系ナノテクなどの分野で強みを見せており、国内市場向けだけでなく、米国や欧州での係争を見据えたグローバル戦略出願が目立つ。

また、スタートアップや中堅企業による出願も増えており、K-スタートアップ向けの知財支援制度(IP R&D連携支援事業)の効果も数字に表れてきている。

■ 国家戦略としての知財活用:韓国政府の政策支援

韓国政府は2020年代初頭から「知識財産強国戦略」を国家ビジョンとして掲げており、単なる出願奨励に留まらず、訴訟支援、PCT出願費用補助、IP金融(知財担保融資)など、かなり具体的な施策を実行してきた。中でも、AI審査官支援システムの導入や、“特許審査のスピード重視”から“質重視”への転換は、近年の変化として特筆に値する。

サムスンやLGといった大手は当然ながら、今後は中小・スタートアップ企業における知財戦略の成熟度が、KIPO全体の質的向上を左右すると言ってよい。

■ 国際競争の中でのサムスン電子:特許は“防御”だけではない

サムスン電子の特許戦略の本質は、防御的側面にとどまらない。たとえば、Appleとの係争で見られたように、相手企業へのクロスライセンス交渉を有利に進めるための“交渉カード”として知財ポートフォリオを活用している。

また、米中対立が加速するなか、サムスンは中国市場と米国市場の両方において「非中・非米」としての中立的な立ち位置を保ちながら、特許出願を継続的に強化している点も見逃せない。これはインテルやTSMCが明確に“陣営”を選んでいるのとは異なる路線であり、地政学リスクを分散する経営的判断とも言える。

■ 数だけでなく“質”の転換点へ:特許の飽和と次のステージ

ただし、年間1万5,000件以上の出願という数字は、“過剰出願”のリスクや、審査官リソースの限界という負の側面も含んでいる。これは日本でも経験されたことで、かつての「大量出願主義」が、特許価値の希薄化や管理コストの増大を招いた歴史がある。

サムスンもまた、「本当に活用されている特許」がどの程度あるのか、あるいは他社とのアライアンス形成に活かされているのかを評価しなければ、単なる数値競争に陥るリスクがある。近年では特許を使った事業モデル革新や、ライセンス事業の新規収益源化など、より柔軟な知財経営が問われている。

■ 知財の“輸出”は可能か?:韓国が目指す「IP輸出国」

興味深い動きとして、韓国では「知財の輸出」という新たな概念が芽生えている。これは、特許を外国企業にライセンスしたり、韓国発のスタートアップが特許ポートフォリオを武器にM&Aされることで、実質的に技術を“輸出”するという発想である。

サムスン電子も、自社開発のAIチップやディスプレイ技術を、海外メーカーと共同開発したり、技術供与契約を結んだりすることで、知財を単なる「保護の手段」ではなく「市場獲得の手段」として機能させている。

■ 日本企業への示唆:特許は経営資源か「慣性の負債」か

日本企業にとってこのニュースが持つ意味は小さくない。かつて「知財立国」を掲げながら、出願件数は減少傾向にあり、特許の“価値”より“維持費”が問題視されるケースも増えている。

一方で、サムスンのように特許を「経営戦略の核心」と位置づけ、M&A、提携、輸出のいずれにもフル活用するという姿勢は、日本の知財部門にとって参考になる点が多い。

■ 結論:サムスンが作る“知財国家”のモデル

特許件数1位というニュースは、そのまま“技術立国の象徴”である。しかし、それは同時に、“維持と活用”という二律背反を内包している。

サムスン電子が象徴するように、韓国は「知財を国家インフラと捉える視点」で、アジアにおける知財覇権の一角を形成しつつある。今後、サムスンの特許戦略は、単なる企業戦略にとどまらず、国家戦略そのものの象徴として、さらなる注目を集めるだろう。


Latest Posts 新着記事

知財分析に地殻変動:Patentfieldが中韓データ標準化を実現

はじめに 企業がグローバル市場で競争力を維持・強化するうえで、知的財産(IP:Intellectual Property)の戦略的な活用は欠かせません。特許情報の分析は、新たな事業機会の発見、研究開発の方向性決定、競合の動向把握など、多様な意思決定の根拠となります。その中で、知財分析プラットフォームとして多くの企業や研究機関に支持されてきた「Patentfield(パテントフィールド)」が、このた...

iPhoneの次はこれ?アップルが仕掛けるAIウェアラブル革命

2025年5月、米Apple(アップル)が出願した新しい特許資料が公開され、テック業界やウェアラブル技術の未来に関心を持つ多くの人々の間で話題となっている。その内容は、従来のスマートウォッチやARグラスの枠を超える、まさに「身体拡張」と呼ぶにふさわしい次世代のAIウェアラブルデバイスに関するものだった。 本稿では、特許から読み取れるデバイスの可能性、他社動向との比較、そしてアップルが目指すであろう...

エーザイ、レンビマ特許訴訟に勝訴 知財強化で収益基盤を防衛

2024年3月、日本の製薬大手エーザイ株式会社は、同社が開発・販売する抗がん剤「レンビマ(一般名:レンバチニブ)」に関する米国での特許侵害訴訟において、インドの大手後発医薬品メーカーであるサン・ファーマシューティカル・インダストリーズ(Sun Pharmaceutical Industries Ltd.)との間で和解に至ったことを発表した。この訴訟での勝訴は、単なる一製薬企業の勝利にとどまらず、国...

「宇宙旅行OS」が誕生──スペースデータ、次世代ステーション統合特許を取得

2025年、宇宙ビジネスのフロンティアを牽引する日本企業「スペースデータ株式会社」が、宇宙ステーションの統合管理から宇宙旅行の予約・運用システムに至るまでを包括的にカバーする特許を取得した。これは単なる技術的成果にとどまらず、宇宙産業全体の未来像を方向づけるマイルストーンとなり得る重要な出来事である。 本コラムでは、スペースデータ社の取得した特許の概要、技術的・社会的な意義、そしてそこから見えてく...

ステランティス、ブラジルで特許出願急増 3倍増で革新の最前線へ

2024年、ステランティスはブラジルにおいて目覚ましい成果を収めた。特許出願数が前年比で3倍に達し、国内企業としては第3位という快挙を成し遂げたのである。これは単なる数字の増加ではなく、同社が南米、特にブラジルを次世代モビリティの技術革新の中核と位置づけ、グローバルな戦略拠点として本格的に機能させ始めていることを示す重要な指標だ。 ブラジルでの研究開発強化 ステランティスが急速に特許出願数を増やし...

知財リノベーション:老舗企業に求められる特許戦略の転換

はじめに:増え続ける「数」の先にあるもの 日本は長年にわたり、技術立国として数多くの特許を生み出してきた。特に1980年代から1990年代にかけては「知財大国」として世界を牽引していたが、21世紀に入り、特許出願件数が急増する一方で、その“質”への懸念が深まっている。いま、企業は単なる特許の“数”ではなく、社会的価値や経済的インパクトを持つ“質”を問われる時代に突入しているのだ。 この流れの中で、...

知財戦略の先に未来がある ― IT企業の特許から見る国際競争力

近年、IT業界のグローバル競争は激化の一途をたどっている。GAFAを筆頭に、中国BAT(Baidu, Alibaba, Tencent)や新興のスタートアップが覇権を争う中、各社がグローバル市場での競争優位を築くために重視しているのが「知的財産」、特に「特許」である。特許は単なる技術の保護にとどまらず、国際戦略の可視化、競合排除、M&Aの交渉材料としても機能する。各社がどの分野にどのような...

ジェネリックに逆風?東レ新薬が特許侵害で沢井製薬に大勝利

2025年5月、知的財産高等裁判所(知財高裁)は、東レ株式会社が起こした特許権侵害訴訟において、沢井製薬株式会社をはじめとするジェネリック医薬品メーカーに対して、217億円の損害賠償を命じる判決を下した。このニュースは製薬業界関係者を驚かせるとともに、日本の知財制度と医薬品政策のあり方について、改めて深い議論を呼び起こす契機となっている。 本稿では、この判決の背景、判決が意味するもの、そして今後の...

View more


Summary サマリー

View more

Ranking
Report
ランキングレポート

中小企業 知財活用収益ランキング

冒頭の抜粋文章がここに2〜3行程度でここにはいります鶏卵産業用機械を製造する共和機械株式会社は、1959年に日本初の自動洗卵機を開発した会社です。国内外の顧客に向き合い、技術革新を重ね、現在では21か国でその技術が活用されていますり立ちと成功の秘訣を伺いました...

View more



タグ

Popular
Posts
人気記事


Glossary 用語集

一覧を見る