日本最古の特許は花火だった!?

毎日暑い日が続いています。日本の夏の風物詩である花火大会は、感染症の対策をとりつつ日本各地で行われており、筆者も先日、家族を連れて花火大会を見てきました。

ところで、花火といえば、特許の世界では特別なものといえます。いまでは日本の発明を日本国内だけではなく、米国へも出願し、米国内での特許権を取得することは海外ビジネスを行う企業ではあたりまえになっています。この、米国で特許を取得した最初の日本の発明こそが「花火」なのです。

日本の花火師、平山甚太は、横浜市で「平山煙火製造所」という工場を営んでいました。ここで開発した「袋物」と呼ばれる花火について、1883年3月15日に米国特許商標庁に特許出願し、同年8月7日、日本人として初めて米国で特許を取得したのです。特許の名称は「Daylight Fireworks」、特許番号は第282891号です。

平山甚太は、当時横浜の大花火大会を開催するなどしていましたが、自社の花火職人5名を米国に派遣して米国での事業拡大を考えていたようです。その一環として、当時日本には特許制度がまだなかったにもかかわらず、米国特許の取得を目指したのです(ちなみに日本に特許制度が誕生したのは1885年4月18日、いまでは「発明の日」となっています)。

ところで、米国特許を取得した「袋物」という花火は、実は戦後に打ち上げが禁止されてしまいました。これは「昼花火」というジャンルに属する花火で、今で言う花火とは違って昼間に打ち上げるものです。具体的にどういうものだったかというと、打ち上げ後、上空で炸裂した際に、中に仕込んだ紙(人形だったり、チラシだったりしたようです)がヒラヒラと落ちてくるのを楽しむというものでした。米国特許の図面では、鳥の絵が書いてある鳥の人形(鳥形?)が具体例として描かれています。

「袋物」は、現存するものとしては、中に2mもの長さの外国人を模した和紙製紙人形が入っているものがあるそうです。

戦後どうして禁止になってしまったかは、詳細はわかりませんが、大衆になにかメッセージを喧伝する手段として使えてしまうということで禁止になったのかもしれません(ヘリコプターからビラをばらまく、ということをどこかの国でやってたりしますが)。

花火大会は8月にシーズンとなるわけですが、花火をみながら、明治時代の特許業界に関わる先駆けの方々へ思いを馳せるのも、知的財産を知るものとして、一味違う花火の楽しみ方ではないでしょうか。