国が地理的表示(GI:Geographical Indication)保護制度をスタートしてから10年が経つ。ワインやチーズなど農産物を地域の名前とともに保護する仕組みは、欧米では産地価値を国境を越えて守る知財戦略としてすでに大きな成果を上げてきた。一方、日本でのGI制度は、導入から10年が経った今ようやくその重要性が幅広く認識される段階に差し掛かったと言える。
農林水産省によれば、2024年時点で登録されたGI産品は100品目を超えた。阿波尾鶏、但馬牛、夕張メロン、江戸前鮨の食材である「江戸前はまぐり」など、多様な農畜水産物や加工品が登録され、地域ブランドの保護が進んだ。しかし、制度活用の伸びは決して十分とは言い難い。日本の農業が今後も価値を維持・向上させていくためには、GI制度を「単なる地域表示」から「地域の知財を守り、収益につなげる戦略的ツール」へと進化させなければならない。
■ 10年で見えてきたGIの効用
GI制度の最大の意義は、「地域ならではの生産方法」や「土地の個性」を知的財産として保護できる点にある。
これは特許や商標とは異なり、個々の企業や生産者ではなく、地域全体が共有する価値を守る制度 だ。
GIが農業にもたらすメリットは多い。
1. 偽装防止・ブランド保護
海外における日本産食品の模倣はすでに深刻だ。
「北海道産」「神戸牛」「宇治茶」といった地域名は、模倣品のターゲットになりやすく、品質の異なる商品が流通すると本来のブランド価値を毀損する。
GIは国が生産方法と品質基準を保証するため、模倣品を排除する強力な武器となる。
2. 地域経済の活性化
高付加価値化により、産地に利益が還元されやすくなる。
特に、
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少量で高品質
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生産環境が地域固有
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伝統的製法が存在する
といった産品ほどGIによりブランド力が強化される。
3. 輸出競争力の向上
国際交渉ではGIは重要なテーマだ。
EUはGIを通じてチーズ・ワインの輸出競争力を高めてきた。
日本でも、和牛・果実・茶など世界ブランドが育ちつつある今こそ、輸出市場での権利保護が欠かせない。
■ 活用が進まない理由:制度の“見える化”不足
一方、GI制度が全国的に広く利用されているとは言えない。その要因として次が挙げられる。
① 制度の認知不足
農家の多くが「自分たちの産物がGI対象になるかわからない」と感じている。産地団体の組織化や申請プロセスが複雑に見える点もハードルだ。
② メリットが具体的に伝わっていない
GI登録後にどう収益が上がるか、どの程度ブランド価値が高まるかが十分に共有されていない。
③ 監査・管理体制の負担
GI制度は品質基準や管理が求められるため、適切な生産管理ができなければ維持が難しい側面がある。
制度の効果を最大化するには、国が制度の価値を「わかりやすい経済メリット」として示し、生産者の負担を軽減する支援も必要になる。
■ “知財としての農業”が世界基準になる
今、日本の農業は大きな転換点にある。
海外輸出の増加とともに、模倣品・名前だけのコピーが急増し、“本物”を守るための知財戦略が必須になった。
● 欧州の成功例:地域価値を法的に守る
EUでは、パルマハム、ゴルゴンゾーラチーズ、シャンパーニュなど、GIは輸出産品の核となり、地域経済を支える柱になっている。GIが「地域の誇り」と「世界市場で戦う武器」を両立させている点は大きい。
● アジアでもGI戦略が加速
タイのドリアン、中国の龍井茶、インドのバスマティ米など、海外でもGI登録は国の戦略として扱われている。
日本がこれに遅れれば、ブランド価値の席巻を許し、経済的損失を被りかねない。
■ GIの“攻めの活用”が必要
GI制度を保護主体のツールとして活用するだけでは不十分だ。今後は以下のような“攻めの戦略”が求められる。
1. ブランド戦略とセットで運用
GI登録後の販促・マーケティングを一体的に設計することで、認知だけでなく販売力も高められる。
2. 地域版スタートアップとの連携
食品加工業者、EC事業者、観光産業、物流企業などと組むことで、GI産品の価値はさらに引き上げられる。
3. AI・デジタルツインで生産過程を可視化
生産環境をデータ化し、品質の一貫性を保証する仕組みを導入することで、GI産品の信頼性が世界基準に近づく。
4. 海外での商標戦略と併用
GIと商標を組み合わせて権利周りを強化することで、海外模倣から地域ブランドを守ることができる。
■ 10年を経た今、“農の知財”を守る政策の強化を
GI制度の意義は単なる地域保護に留まらない。
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偽装防止
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輸出促進
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農業の高収益化
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若手人材の確保
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地域の文化継承
これらを包括的に支える政策として、今後さらに拡充していく必要がある。
生産者団体が申請しやすい環境整備、管理体制のサポート、海外権利保護の強化、そしてGIS(地理情報システム)やAIを活用した品質証明のデジタル化など、新たな取り組みが急がれる。
■ 結び:GI制度は“守りの知財”から“攻めの知財”へ
導入から10年。GI制度は日本の農業の価値を守る基盤だが、真価を発揮するのはこれからだ。
農業を「伝統産業」ではなく「知財産業」として捉える発想が不可欠である。
日本各地の土壌、気候、歴史、技術。それらから生まれる農産物には、世界市場で通用するポテンシャルがある。
GI制度は、その価値を正しく伝えるための「世界共通の言語」なのだ。
制度10年を機に、日本はGIの積極活用を国家戦略に据えるべきである。
地域の宝である農産物を未来へつなぐため、農家・地域・行政が一体となって知財としての価値を高める取り組みが求められる。