ヘルステックが導く、「真の健康」に向き合う未来

今回紹介するダイナミック・デバイス株式会社のddrobotecは、スイス発のAI搭載下肢用ロボット。スポーツ選手からリハビリ中の小児まで、ひとりひとりの下肢の状況を分析して適切なトレーニングプランを組み、進捗に合わせた負荷をかけるマシンです。一番の肝は、そのトレーニングがVRを含んだゲーミフィケーションのソフトウェアで構成されているということ。なぜゲームなのか?なぜそこにAIが必要だったのか?開発者のDr. Max Lungarella氏の思いを紐解くと、そこには「人間の健康とはどういうものなのか」という定義へとたどり着きました。

新技術やプロダクトが生まれるとき、どこにその種が芽吹くのか、市場を見通すインサイトとともに貴重なレポートをしていただきました。

PROFILE

マックス ルンガレラ

Max Lungarella

スイスのスポーツ・ヘルステック企業ddrobotec(Dynamic Devices社)の創業者兼CEO。

電気工学修士、人工知能・ロボット工学博士。オプティミストなテクノリアルリストで、「Team Human」のメンバーとして、先端技術を使って人々の生活の改善に取り組んでいる。

オプティミストなテクノリアリスト:技術が社会や人間の生活を改善するために使われることに対して、ポジティブで現実的な見方を持っている人の事を指す。技術を人類の改善のための工具と捉え、目的を達成するために責任ある・倫理的な方法で使用することを目指している。

世界初を生み出す一手

ddrobotecは世界初の、脳トレと筋トレの両方をかなえるAI搭載型の下肢用パーソナルトレーニングロボットだ。ひとりひとりの下肢の状態を測定し、最適なトレーニングを組み、フィードバックを行う。この機能はプロアスリートのパフォーマンス向上にも、下肢のリハビリテーションにも、幅広く活用できる。

開発者のDr. Max Lungarella氏は、元々機械工学を専門に25年以上AIとロボットの研究に心血を注いでいた。エンジニアリングから脳神経分野・心理学まで横断的な研究を通して、身体性について広い興味・関心を持っていた。その思いがこのプロダクトに繋がったという。

「何を生み出そうかと考えるにあたって、まず世の中全体のマーケットを見て、『何が世の中でうまく動いていないか』ということを考えました。自身の専門分野の視点で世界を見渡したときに、ヘルステックのマーケットというのが広く、まだAIやロボットが活かされていない分野であると感じて、そこにスポットを当てることにしました。

ヘルステックマーケットの対象はプロスポーツのフィールドから病気で動けない方まで、幅がとても広いのです。そこにデジタライゼーションの世界をどう広げていくかを考えました。」

同分野で成功しているプロダクトの多くは、1つのことに特化しているのだともDr. Max Lungarella氏は分析する。筋力をはかる装置ならそれだけ、特定の病気に関してならその疾患にだけといったように、だ。「AIを使ったロボット1台の中にも、様々な分野がとりこまれています。脳神経系の構造や心理面、開発においてもソフトウェアやハードウェアと、あらゆる技術や理論が組み込まれてひとつのロボットになっています。人間もそうです。筋肉、メンタル、脳と体のコネクションをすべてが正しく繋がってはじめて、健康な体というのが成立しているんです。だからこそ、1つの課題に焦点を当てるのではなく、人体各所の繋がりを考え、そしてヘルス・予防・リカバリーすべてに対応できるシステムを構想しました。」

真の健康を考える

トレーニングの具体的な内容は様々なゲームの形で提供される。2分ぐらいの短めのゲームが、自社で開発・テストされ、ゲームエンジンに乗り、月に1本ほどのペースでどんどん追加されていっている。

「理論上効果のあるトレーニングをいくら創り出したとしても、最終的にモチベーションがないと実行されませんよね。だから私たちは、ゲーミフィケーションという要素にこだわっています。ゲームを作るときにはメインとなる運動原理…つまり筋力・パワー・持久力・正確な運動を支える筋協調性の4項目を軸にしています。そして社内のテストまで終わった後は、何よりエンドユーザーの反応を見て改善を重ねます。スイスのとある小児科病棟にもマシンを入れていますが、そこでこういう調整が出来たらいいだとか、こういうところが扱いにくかったなどの声が出てくれば、その要望や反応を反映していきます。

それだけではなく、すべてのデータが社内ダッシュボードで共有されているので、最近よく使われているゲームを確認して、よりポピュラーでユーザーが楽しめるゲームを作っていく際に参照しています。」

同社は大きなゴールに「人間がもっと運動・活動をして健康になる」という状態を見据える。特に日本では人口の30%が60歳以上。今の医療は病気になったときに薬を飲んで長生きするという「シックケア」が主体であり、病気にならずに長生きする「ヘルスケア」に向けた取り組みについてはまだまだ進んでいない。「病気になってから治すという考え方は、健康社会を築くためには遅い。健康な状態のときに、健康とはどういうものかと教育するアプローチが大事なのです。健康を保つためには、動く必要がある。そして動くためにモチベーションが必要です。そのためにゲーム性をもたせ、バイオメカニクス的な面だけでなくメンタルなども含めた複数の視座から人を健康にすることを目指します。」

まず足に特化したシステムを開発した理由を尋ねたところ、これも健康をどうとらえ定義したか、ということを軸に説明がなされた。「理由は、私たちのQOLの70~75%は健康な脚によってできているからです。サイエンスの世界では脚の筋肉が大きい人は長生きするというデータもあります。脚が弱れば動けませんし、買い物にも遊びにも行けなくなる。その心身の不自由さから精神病に至ることも少なくありません。

このことから、幸せに生きるには脚が健康であることが大切だと言えます。既存の脚のトレーニング機器って、たとえば自転車やトレッドミルなどがありますが、正直あまり楽しくないですよね。だから、世界で一番楽しく、足の筋肉を鍛えられれば完璧だな、と構想したんです。歳を取ると上半身の筋肉より足の筋肉の方が減少ペースは早くなりますから、そういう意味でも世界的な高齢化の中で、このマシンが活躍してくれると信じています。」

ヘルステック分野から見る知財活用

真の健康とは何か、そのことに向き合い、広い視野でソリューションを生み出したDr. Max Lungarella氏。長年研究に汗を流したプロだからこそ、研究から実用への移行の舵取りが肝要である、と振り返る。「医療の現場は、たとえばマットレスの性能なんかは、基本的にエビデンスベースであることが求められます。ただ、プロダクトの開発は済んでいても、研究の方がはるかに時間がかかるんです。そこのバランスがあわない。

それでもサービスを世に出すためにはプロダクトを進めていかなければいけないので、そこで我々にはクリエイティビティが求められます。エビデンスを出せる段階前に収益を上げる必要があり、そのためにビジネスプランをしっかりと練ることが重要です。」

現在2つの特許を取得しているが、分野的に世界の動きが早いので、特許で守るよりもスピードと、他社とのコラボレーションで技術やアイデアを守っていくというのが現在の戦略だ。とにかく早く、そしてシナジーの産める可能性を秘めたコラボレーションは、特許以上のプロテクションになると氏は強く頷く。

「日本に進出してもう3年経ちますが、今ようやく研究計画が立ったところです。日本が遅いということではなく、世界中で科学の動きは遅いものです。AIの研究は昔から盛んですが、チャットGPTがぐっとその存在感を強くしたのは2018年頃。それも企業の力で太陽の下に押し出された形でした。研究現場や大学期間発でないのが、いち研究者としてはなんとももどかしい部分ではありますが、そういうものです。」

「我々の発明も、さらに発展させていく道中です。どうやって作るのかというのはまだまだ難しいところですが、心拍数や汗、脳の分析など、今は筋力に特化していますが、最終的にはすべての要素をディープラーニングをさせ、ユーザーにあわせた出力を可能にするのが完璧な状態」と展望を語る。現在はまだ相応のコストがかかる点についても、「ソフトウェアファーストで進めているので、何にでも乗せられるということを強みにイノベーションを続けていきたい」としたうえで、単純なコスト減のみによるマーケットの拡大戦略はとっていない。

「コストを減らすという考えはもちろんありますが、そもそもこのマシンの導入は、これまで0から10までつきっきりでリハビリやトレーニングを支えてきた理学療法士さんの時間を省くことができます。人がやるとのと同じかそれ以上の精密な負荷がかけられるのですから。そうして空いた時間で、スタッフはよりクリエイティブに働くことができるようになります。初期投資はかかっても、長期的には十分回収できるでしょう。

社会的にも、今後シックケアからヘルスケアに目を向けていく方向になると考えています。体を壊してから薬にお金を注ぐか、ヘルステックにお金を使うか。変わっていく時代の中で、コストに見合った価値を感じてもらえるようになっていく、と考えています。」

数手先、数年先を読みきる鋭い視線は、確実に「現在」をくまなく注視している。現場へのヒアリングやマーケットの多角的な分析といった、ひとつひとつは地道ともいえる探索が、未来のビジョンをコンピュータよりも精密に浮かび上がらせる。

これから発明・起業を目指す方々へ

「これを読む方が何を目的とするかによりますが、もしもあなたの事業やサービスを素早く大きくしたいなら、デジタルプロダクトの分野がまず強いことは間違いないでしょう。そこで、マーケットとプロダクトがフィットしているかどうかを、顧客と対話する中で確認することが重要です。本当に何が一番そのマーケットで必要とされているのかを掴む必要があります。

一方で、この分野は世界が早く進みすぎていて、顧客にとっても製品・技術の入れ替わりが目まぐるしく、選ぶことが難しいという課題がある点には注意が必要だと思います。ちなみにこの点、日本人には実はアドバンテージがあると考えています。日本国内で起業するのであれば、日本語が壁になることで海外産のサービスにとっては参入障壁が高くなるからです。(多くの日本国内企業が日本語でのコミュニケーションで成立しているという意味で)この言語の壁があることが、日本の会社にはプロテクションになるケースもあります。」

どの市場で何を為すのか。深い研究のその先・AI技術の発展の先であっても、そこにいる生身の人間から目をそらさない、力強いサイエンティストのまなざしがあった。